アントン・ブルックナー1 |  ヒマジンノ国

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長谷磨憲くんち


今回はアントン・ブルックナー(1824-1896)の音楽について触れてみます。


大学生の時、一番好きな作曲家はアントン・ブルックナーでした。学生当時は世界最高の作曲家だと思ったものです。


今では必ずしもそうだとは思いませんが、それでも彼の音楽は素晴らしいものがあります。


かつて指揮者の朝比奈隆はブルックナーの音楽と少年との関係について一言述べていましたが、是非ともこうした音楽は若いうちに体験することが人生の喜びの一つになることを僕は信じて疑いません。


若く、志のある人にとってみると、一度は挑戦してみる価値があるでしょう。

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<神の音楽>


一見、まともな人間ではなく知性も閃きも感じさせない、というような人物。大作曲家の一人でありながら、物腰は決して洗練されてなく、風貌は田舎者丸出し・・・。


それがアントン・ブルックナーの姿だった。


大作曲家というのは一般的な知識に乏しく、世間の常識も逸脱していることが多い。


確かに良く考えてみれば彼らの創造的な生活に比べれば、我々の営む通常の社会というのは格段に差のある社会ともいえるだろう。

そんな中で自己の能力を磨こうと思うのなら、彼らはその生活に長く身を置くことになる。そしてその時間が長くなればなるほど世間とのギャップも大きくなる可能性がある。


そう考えれば、ある種の特殊な能力は完全にまともな人間には身に付きにくく、その能力が大きいほど世間からの逸脱具合も大きい、ともいえるだろう。


やや否定的な見方をするのなら、彼らは堅気の世界の人間ではなく、ある特殊な閉鎖的な世界に閉じこもっていることが多い・・・時には、際立った変人・・・ともいえるような人々である。


そしてブルックナーもまたその範疇を出ることはなく、彼の場合は特にその変人の傾向が強かった。

彼は政治や世の中の事に疎く、知識もごく限られたものしか持ってなかった。

そんな熱心なカトリック教徒だったブルックナーにとって、生活の中心は「音楽」と「神」であった。彼の生活は地味で学校の先生などをして生活していたが、その内面は芸術家と熱心なカトリック信者が結びついたものであった。


だが、そんな洗練もされていないような人物が、交響曲の分野で余人が想像しえぬ、崇高で巨大な音楽を書くことに成功したのである。


・・・そして・・・それはある種の人々には一種の御宣託ともいえる響きであり、この世の中の最も偉大な精神を表しているようにも思われるものでもあった。

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残念ながらブルックナーの音楽は理解しづらく、ショスタコービッチなどと共に難しい音楽の一つに数えられている。


誰しもメンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトといえばあの有名な名旋律が思い出される。かのメロディーは人々に分かりやすく目に付くようにまとめられており、人々はそのメロディーを「理解」できる。


だが、ブルックナーの場合、その音楽を「理解」する事は難しい。


いみじくも、ブルックナーの仇敵であった評論家のエドアルド・ハンスリックが第8シンフォニーの批評を「この作品の特色は、一言でいえば、ワーグナーの劇的様式を交響曲に移し変えたものである。」と書いたように、その明快でない響きそのものにたよった構成が作品の理解を困難にしている。


もともとワーグナーにとって楽劇の本質はセリフ(詩)によって語られるものであって、音楽はその場面場面を補足するものであった。

しかしブルックナーはワーグナーの楽劇の二義的な要素である音楽を交響曲の作曲に用いようとした節がある。


ブルックナーの交響曲は巨大な音響体であって音の動きを理解するよりもその音を自らが「体験」することによって知ることができる。

短時間の内に「頭」で「理解」できるそれまでの音楽とは違い、こうしたワーグナーやブルックナーのような音楽はじっくり音楽の中に身を置くことによって初めて理解が可能になる。


まず必要なのは頭で「理解」しようとすることではなく、自身が五感で感じる・・・「体験」なのである。


だからこそ聴き手はその音響の巨大なパースペクティブに身を任せる事で、その壮麗な音楽の進行と同時に音楽そのものが描き出す精神の高みへと連れ去られることになるのだ。


長谷磨憲くんち

オイゲン・ヨッフム指揮、ドレスデン・シュターツカペルレ。ブルックナー交響曲全集。

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二度ブルックナー交響曲全集を録音したオイゲン・ヨッフムの新しい方の全集。1975年から1980年にかけて録音された。

オイゲン・ヨッフムはブルックナーを正確に理解した古い指揮者の一人だった。ただ古いとはいっても、彼は20世紀の前半に存在したような旧世代の偉大な指揮者達ほどの時代の証人というわけではなかったのがやはりブルックナーの現代性を表しているように思う。

ヨッフムの作る、オルガンの様に美しく交じり合った音響はまさにブルックナーが欲した音の世界だ。

彼の演奏は感情的でテンポの動きが多いものだが、こうしたブルックナー演奏はやや時代を感じさせる。だが、心地よい金管楽器の咆哮を聴くとブルックナーの故郷に戻ったような不思議な印象を覚えるのが素晴らしい。


個人的には初めてブルックナーを聴くならこれぐらいの全集でちょうど良いと思う。ブルックナーの演奏には感情を廃して透徹感を出すべきなのだろうが、この演奏は感情的にもかかわらず、ブルックナーを感じさせてくれる。

そこにははちゃんとブルックナーの交響曲がベートーヴェンの後を継いでいると思わせるものがあり、聴きやすい。


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ブルックナーとマーラーは良くその曲の長大さから比べられるが、精神の病を感じさせるマーラーの音楽とは違い、安心した幸せと慰めをブルックナーの音楽からは感じることができるだろう。