今回は印象派の音楽について簡単にまとめてみようと思います。
19世紀の音楽で、ドイツ流の音楽でない偉大なクラシック音楽というのは数が少ないものです。しかし、その例外の一つがフランスの作曲家ドビュッシーが始めたとされる「印象派」と呼ばれる音楽でしょう。
簡単に理解できる音楽ではありませんが、ドイツやオーストリアの偉大といわれてきた作曲家の音楽に倦んだ人にとってみると、まさにオアシスのような瑞々しい感性に彩られた楽しみの多い名曲ぞろいです。
特にドビュッシーとラヴェルが有名で、今回は少しだけ二人の人間像に触れた後、自分の思いつくままに彼らの曲の感想を書いてみます。
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<生粋の我がまま>
生涯に二人の女性をクロード・ドビュッシー(1862-1918)は自殺未遂に追い込んだ。彼の考える事はいつも自分のことであり、美しいもののことであった。
美食家でキャビアを好み、高価な版画や流行の服装を好んだドビュッシーは、気難しい芸術家の典型だったといえる。
ガブリエル・デュポンのように長らく彼の面倒を見た女性も、彼の意にそぐわなくなれば、冷たくあしらってしまう。
芸術家はどうしても自分の世界を守らねばならず、そのためには誰かの庇護を求める。ベートーヴェンのように貴族のパトロンや、ワーグナーのように一国の王様が後ろ盾ならいざ知らず、どちらかといえば、やや色男的で男性的要素の少ない人物の場合は女性の下に転がり込むことが多い。
ジョルジュ・サンドと関係のあったショパンにはあきらかにマザコンの要素が伺えるし、シューマンもまた似た要素がある。
このドビュッシーも女性を好んだが、彼の場合はそこに強力な打算性が加わった。
最終的に資産家のエンマ・バルダック夫人と不倫の末結ばれてからは、人生に落ち着きを持つことができたが、それまで彼の面倒を見てきたキャビー(ガブリエル・デュポンのこと)とロザリーをあっさりと見捨て、自殺未遂に追い込んだ。
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友達らしい友達も少なく、自分の洗練された世界に住んだドビュッシーはその不実な性格とは裏腹に美しい音楽を書き、肥大化した独墺風の後期ロマン派の世界から無駄な論理性を取り除いていった。
キャンバスに原色をのせ、その場で色彩のあやを表現する印象派の画家のように、ドビュッシーは自己の類まれなセンスに乗っ取った音を一音ずつ楽譜にのせていった。
残念ながらその音楽は素晴らしいもので、新たな音楽の世界の地平を開いたのだった。
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<緻密な職人>
モーリス・ラヴェル(1875-1937)はドビュッシーよりやや遅れて登場したフランスの偉大な作曲家である。
ラヴェルはドビュッシーが形成したフランス音楽の新しい音作りの路線にある程度まで乗り、印象派の音楽、といえばドビュッシーとラヴェルの両方の名前が挙がるほどの存在となった。
ドビュッシーの音楽は柔らかく、雲のように流れるが、それに比してラヴェルの音楽はかっちりとした作りで、精巧である。
ドビュッシーとラヴェルの音楽は力付くでない繊細な曲が多い。
今回はその一部を見てみたい。
クロード・ドビュッシー、「ペレアスとメリザンド」。エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団。
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ドビュッシーの完成させた唯一のオペラで、フランスの香りに満ちた繊細な作品。管弦楽は決して力尽くでなく、ドビュッシー独特の甘い自然描写を基調としながら、ふわふわとしたパステル調の世界を描き出す。
自分の意思に従いながらも、運命に翻弄されていく、か弱いメリザンドはおそらくドビュッシーの気に入る女性像なのだろう。追い詰められてはかない死を迎えるメリザンドはドビュッシーの描く音楽のあり方そのものだ。
しかし、これは従来のオペラとは一線を画す、ドビュッシーにしか書けない不思議なオペラだ。アリアやリズムの概念は極めて薄く、緩やかなシンボリズムが明滅する。
ヴェルディやプッチーニ、ワーグナーのような劇的要素も少なく、洗練された感情の世界がある。
1902年に初演された。
モーリス・ラヴェル、「亡き王女のためのパヴァーヌ」。ポール・パレー指揮、デトロイト交響楽団。
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一般にフランスの印象派の音楽を先に完成させたのはドビュッシーだと言われているが、ラヴェルは生涯、自分のほうがドッビュシーより先輩であり、彼に影響を与えたのは自分だと主張した。
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この、「亡き王女のためのパヴァーヌ」はそんなラヴェルの初期の頃の作品。とても美しい曲で、まさに読みかけの本に挟まった、一枚の栞のような名曲。ラヴェルの書いた音楽の中で僕はこの音楽が一番好きだ。
短い、たった6分余りの曲だが、物悲しい想いと、まるで幸せな気持ちで過去を思い返すような感傷が入り混じり、聴くたびに胸をしめつけられる。1899年に元々ピアノのために書かれた音楽だが、後年、ラヴェルは管弦楽にした。しかし、ラヴェル本人は余りこの曲を好かなかったと言う。
モーリス・ラヴェル、「マ・メール・ロア」。シャルル・デュトワ指揮、モントリオール管弦楽団。
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ラヴェルが書いたバレエ音楽。これも元々、1908年にピアノ連弾用として書かれた音楽。これはその管弦楽版。
この音楽は、ラヴェルの得意な物悲しい心情を根底にに据えながら、ドビュッシー同様、淡いパステル調の繊細な色彩で描いた音のおとぎ話だ。
指揮者のシャルル・デュトワは、風に吹いたらとばされそうなカラフルな色彩の管弦楽を、美しい水彩画のように再現していく。
その切ない音の世界は、神秘感さえ伴って現実世界のことを忘れさせてくれる。
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不思議なものでこうした「印象主義」と呼ばれる音楽を聴いていると、その描かれている物事の感覚の中に、自分の感性が入り込んでいくような気になる。
日本人は絵を描くとき、輪郭線を引いて物事の形をくくりたがるが、そうした線の要素はこれらの音楽からは聴き取りにくい。しかし反面、言いいたい事を強調する、という意味ではこれらのものは良く似ている。
そのため、「印象主義」の音楽を聴いていると、そこにある色彩とか、雰囲気とかに直接、しかも割りとリアルに入り込んでいくような気になる。
これらは西洋の文化から見れば、物事を見たままに表現するのではなく、強調したい部分を印象的に、言い換えれば観念的、思想的にとらえたものとして考えられた。
ドビュッシーは日本の版画を好んだそうだが、輪郭線の強い、日本の絵画もヨーロッパでは思想的に見られ、それがドビュッシーの作曲へのインスピレーションになったのだろう。
ただ、ドビュッシーは自分の音楽が「印象主義」と呼ばれるの嫌がっていたそうである。
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クロード・ドビュッシー、交響的断章、「聖セバスチャンの殉教」。シャルル・デュトワ指揮、モントリオール管弦楽団。
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本来、劇音楽であったものをこれはオーケストラ用に弟子のキャプレが改編したもの。もともと物語のために書かれた音楽なのだが、コンサート用に編曲された馥郁たる作品だ。
1911年に書かれた。
第一曲目の「ゆりの園」からまるでゆりがふわりと香るような、香り高い音楽。木管楽器がやるせないゆりの香りと、神秘的な宗教的な感情を作り出す。
全体に緩やかで、うるさくなり過ぎない音楽だが第二曲や、第四曲の「よき羊飼いキリスト」では壮麗な盛り上がりから、満足のいく結末を迎える。
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クロード・ドビュッシー、「牧神の午後への前奏曲」。シャルル・デュトワ指揮、モントリオール管弦楽団。
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ドビュッシーが印象主義の発見を告げた美しい音楽の詩。
詩人マラルメの詩からインスピレーションを受けたが、原詩を知らなくとも充分に楽しめるドビュッシーを代表する名曲。
初演は1894年。
フルートによる余韻に満ちた導入。そして、音楽は柔らかいそよ風になびくように流れ、安心感と神秘の入り混じった落ち着いた雰囲気を作り出す。
それは甘美な田園世界で、昼下がりの余裕に満ちた人生の満足感だろうか。
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世間ではフランスの音楽は表面的だとみなす傾向があるが、それもあながち納得できないというわけではない。
ただ、その分、センスと詩情に関しては一級品のものがあって、理屈を超えた感性の世界を体験することができるのが素晴らしいと思う。
そして、彼らの音楽に宿る詩情はいつも物悲しくも切ない。その切なさは言葉にならないような感動と安心感、加えて高貴な慈しみ与えてくれるのだ。




