アドルフ・ヒトラー著、「我が闘争」。平野一郎、将積茂、訳。角川文庫。
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先日亡くなった僕の母方の祖父は、第二次世界大戦に従軍し、かつての満州国でソヴィエトから敗走し、東南アジアまで逃げたという話をよくしていた。
だが、戦争を知らない私達にしてみれば、こうした話は現実離れしたおとぎ話のようだ。
現代の平静な日本社会において、人殺しは法律違反だし、あだ討ちや決闘も認められていない。
戦争中、祖父がどんな行いをしたか知れないが、それは今ある平和な世界とは違う、別世界の世界の出来事のような気がする。
そんな私達が、戦後、半世紀以上が経った今、このヒトラーの著書を読むと、妙な感慨にとらわれる。
それは・・・人々が戦争をするようにしむけられた原因と、動機とは何だったのか・・・という思いである。
この「我が闘争」の哲学は決して学校では教えられるものではないし、一般の人にはどちらかと言えば「眉唾もの」・・・という印象だろう。
だが、僕自身、改めてこの本を読んでみると、その内容はそんなに馬鹿に出来ないものだと思うようになった。
所謂、世間で言う、常識のある人にとって見ればこれはおかしな話に聞こえるかもしれないが・・・もしかしたらここに書かれている事はある程度まで真実を伝えているのではないかと僕には思えたのである。
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この本の中で、アドルフ・ヒトラーは国家社会主義ドイツ労働者等の理念を、国際化してゆく世界情勢に対抗するために作り上げた。それがひいてはドイツ人のためであり、またこの世界のためであるとした。
今日、一国家のギリシアが金融問題で揺れ動いたように、国際化し、世界が市場経済に支配される事によって、人々の自由が奪われている。お金こそ正義であり、その力こそ権威の源である、と人々は思う。
逆にいえばお金が要らない、とまではいわないものの、その力に頼り過ぎない生き方ができれば・・・と多くの人々が思う。そうすれば、今生きている人はもっと自由を感じる事ができるではないか・・・という理由で。
だが、生き馬の目を抜く現代社会で我々のユートピアを実現する事はほとんど不可能であり、それは理想論者の発想に過ぎない、とも人々は考える。
だが、そうした拝金主義を育て、それが世界の支配原理にした人々がいるとすれば・・・?
つまり、人間社会が必然的に今の状態に達したわけでなく、そうした社会を画策し、人々に分からないように実現し、自身がその支配者たりえようとしたとしたら・・・?
アドルフ・ヒトラーは当時からそうした人々が社会の裏側で暗躍し、彼等の言いなりに世界をしようとしている人々がいるとし、その正体こそがかの「ユダヤ民族」、ユダヤ人だとしたのである。
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ユダヤ人は我々日本人にはあまりなじみが無いが、紀元前にまでさかのぼる遠い昔に本々イスラエル民族として存在していた。そして彼らの国である、イスラエル王国を南北に分かれて以来そのイスラエルの12民族の内、ユダ民族とベニヤミン民族が歴史の表側に残り、その外の10民族は歴史から消えた。その後、住んでいた土地の名からこの残ったこの2民族を総称してユダヤ民族と言うようになった。
自らの住む国を失った彼等は、長い歴史の中でヨーロッパに離散し、定着していったが決して他民族と同化することなく、生き延びてきた。
ヒトラー風に言えば・・・ユダ他民族はそのヨーロッパの歴史の裏側で長い時間をかけ世界支配と、再び約束の地での国、イスラエルの建設を夢見て生き延びてきた民族・・・ということになるだろうか。
そのユダヤ人が最も得意とするのは高利貸しなどの金融で、あの「資本論」で有名なマルクスなどもユダヤ人の手先だとヒトラーはいっている。
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本来、この本は政治に対する鋭い指摘に満ちている。それは政治の本質に関した論理である限り、人々を納得させるだけのものがあり、その内容は充分現代でも通用するだろう。
だが、反面その論理は大方、ヒトラー流のユダヤ人排斥論と結びついており、その政治に対する鋭い指摘と激しい対象をなしているともいえる。
その点さえ除けば、人々がこの本を読むと、その内容は決して馬鹿げたものばかりではないと思えるはずなのだ。
だが反面、「我が闘争」と読んでいると、観察眼の鋭いヒトラーがこの問題にこれほどまで執着するのも返って妙な気がしてくる、ということもいえる。
この問題・・・つまり、ユダヤ人の陰謀説・・・が真実かどうか・・・という一点のみがこの本の価値を秤にかける原因になる。おそらくこの本のまともな部分に関しては多くの人が無理なく理解が出来るはずだ。だが、ユダヤ人排斥論に関しては・・・?
どんなおかしな論理でも、現代に根強く残っているのは、それが正しいという決定的な証拠がないのと同様に、それが間違っている、という決定的証拠がないためだ。
だから僕はどうしてもユダヤ人の陰謀論にひっかかった。
そのため、今回はその点を含めて、この「我が闘争」について自分なりに少しまとめてみた。