R・シュトラウス4 |  ヒマジンノ国

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長谷磨憲くんち


刺激的な交響詩の作曲家として19世紀の終わりから、20世紀の初めまで音楽界の話題をさらってきたR・シュトラウスだが、1911年に「薔薇の騎士」を発表して以来、その作風がロマン派の後期を思わせるものになり、専門家達は彼を時代から取り残された存在として見る様になっていった。


1949年に彼は死ぬが、ロマン派の後期の作曲家達の中にあって彼は随分と長生きした。ブラームスやブルックナーはもちろん、ライヴァルであったマーラーは1911年にヒステリックな印象を残したまま死んでいた。


だから、彼は、本当に取り残された、独墺系最後の大作曲家となっていた。


そして、欧州を困憊させた、二度の世界大戦が、ドイツの人材だけでなく、文化面にも多大な打撃を与えている。R・シュトラウス以降、大作曲家と呼ばれるような人物は絶えて久しい。


下らない話だが、結局戦争は多くの面で、特に敗戦国に文化の断絶を生んでいる。


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人物として見ると、金儲けと音楽にしか興味のないR・シュトラウスは、節操のない人物だった。道徳や精神性にうるさいかつての大家と違い、もっと自然体の作曲家でもあった。


だから、不幸な事に彼はナチスとの関わりを持たねばならぬほど長生きし、ドイツにとって最高の作曲家たるシュトラウスはナチスの音楽局総裁になった時も、もめることなくナチスの意向に則したが、反面、ナチスの事も大して気にしていなかった。


ユダヤ人の台本作家も進んで起用したりした。

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<最後の四つの歌>


マーラーはR・シュトラウスについて次のような言葉を残している。


「R・シュトラウスと私は、同じ山の坑道を、別々の側から掘っているのです。私達はきっと出会うことになるでしょう。」


逆にマーラーが死んだ時、R・シュトラウスは次のように述べた。


「マーラーが死にました。これでウィーンの人々さえも、マーラーを偉大な男だと思うようになるでしょう。」


必ずしも宗教的な形而上学的死生観にとらわれなくなっていたこの二人の作曲家が人生の終わりを迎え入れようとした音楽はいくらか似通っているところがある。


マーラーの第九のアダージョが激しい現世への思いを綴りながらも、死を自然に受け入れようとするかと思わせるものがあるが、同時に、似たようなスタイルながら、天寿をまっとうしたR・シュトラウスの死への受容はもっともっと自然なものがある。


長谷磨憲くんち


R・シュトラウス歌曲「最後の四つの歌」。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。ソプラノ、グンドェラ・ヤノヴィッツ。

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まさにR・シュトラウス最後の作品となった歌曲で、諦念と死の受容が陶酔的な音楽で描かれている。


現世への諦念がこうも美しく表現された音楽は他にない、と思わせるような曲で、人生の快い疲れと諦念が全編を覆う。

四曲はそれぞれ「春」、「九月」、「眠りにつこうとして」、「夕映えの中で」と題されており、特に壮大な「夕映えの中で」と題された最後の曲は格別な物がある。


人生を楽しみ、そして満足を覚えたR・シュトラウスにはこの世に対する未練などなかったに違いない。


慰め深い管弦楽と人生の終わりを肯定的に綴った詩が、無理なく無駄なく、朗々と歌われる。


苦しみから解放されつつある作曲家は、最後の「夕映えの中で」で陶酔感と共に、一気に高められる。それは歪みのない、美しい感情が最後に行き着く透明な世界のようだ。


「おお、広い、静かな平和よ!

 夕映えの中に深くつつまれ、

 我らはさすらいにつかれた―

 これは死なのだろうか?」    


(夕映えの中で、から。渡辺護訳・ライナーノートそのまま。)


歴史に翻弄されながらも、決して無理をせず、才能のまま自然体で生きたR・シュトラウスらしい最後の傑作。それはこの作曲家の人生の最後を、そのまま反映しているかのように思えるに違いないだろう。