まおルウ の どうでもいい話(ネタバレ・勘違いありま~す)

まおルウ の どうでもいい話(ネタバレ・勘違いありま~す)

    常にネタバレ、独断と偏見、山積み満載
         ご容赦ください。   
              
 それにしても
   リアリティのダンス 観てから以後、
      他の映画が なんかつまらない・・・困ったな

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またクレジットカードが増えた。

数年前に、クレカリストラをしたのに、また少しずつたまっている。

 

作るから、増えるんだから、作らなきゃいいわけだけど、

一応言い訳すると、

理由なく、作ってるわけじゃない。

 

ここ最近作ったクレカ。

 

Yカード。

ネット通販サイトに欲しいものがあって、Yカードを作ると、4000ポイント進呈!キャンペーンだったので。

でも、使い勝手が悪いから、解約したいのに、なぜか解約がうまくできず、放置。

 

新規開店のコンビニ。

Tカード付き。

Yカードにくっついているけど、解約する予定なので、Tカードが欲しかった。

TSUTAYAで新規カードもらったけど、新規開店サービスで割引クーポン500円分がついてたので、つい。

コンビニで買い物なんて、あまりしないのに、Tカードと500円のユーワクに負けた。

 

雨ックス。

西ユー店頭で、お買い物が割引になりますよ、と。

雨ックスは海外で使えるかと思って加入。でも、アメリカ以外ではイマイチ、と解った。

買物の割引も、クレジット支払いのみ、と判った。スーパーでクレジット払いはしたくない。

解約、したっけ???? 放置かも。

 

マルイのカード。

海外旅行保険が無条件で付帯してると聞いて、作った。

でも、近くにマルイ・・・ないんだけどな・・

 

昔住んでいた柏にマルイがあって、というよりマルイしかなくて、その次住んだ中野にもマルイがあって、

その頃、北陸旅行した時、富山の大きなお寺で、中野に住んでると言ったら、お寺の女の人が、

うちはマルイの社長さんの家の菩提寺なんです、とか、本堂を寄付したくれたんですよ、とか、話してくれた。

別に私とは関係ないけど、なんか親しみ感じて、海外旅行保険ついてるならいいか、と。

 

パスワードとか暗証番号とかIDとか増えて、覚えきれなくなりそう。

とくに、日常使わないカードの暗証番号は忘れる。

 

ネットで使うと情報漏れの可能性はゼロにできないから、ネット用は、だいたい1つにしている。

そのカードとバンクカードだけでいいはずだけど、ネットで使うカードは街では使いたくないのでデパート系がもう一つある。

 

だから、3枚でOKのはずなのに、時々増えるのは、なぜだ!

って、自分がユーワクに負けるからだけど。

コンビニカードなんて、「500円」に負けて個人情報売っちゃったわけだし。

ホントは、TSUTAYAのブルーに黄色のT、のカードの方が好きなのに。バカだよねー。

 

カード作るたびに、お金が貯まるなら、いい。

でも、逆。

カード作ると、逆にお金使うようになっちゃうんだよ。

キャッシュレス生活に慣れると快適。

だって、お金のこと気にしないで買い物できるのは、楽だもん!

 

でも、マルイカードは大事にしまっとくの。海外で、私が死んだときが出番。

ごめんね、マルイ。

 

宗教的な考え方というのは、よく解らない。

宗教を持つ人、つまり神の存在を信じる人、という意味なんだけど、

 

その人たちが、「神は印を示される、神の印は至る所に示されている」といった話をしていた。

今の世界にもいろんな印があり、人間はそれに気づき、その意味について考え、自分たちの行動について考えなければならない。と

 

たとえば、世界に起きる争い、天災、など、それらは神の印だと思うと。

「そうですね、世界中に起きる争いとか、東北大震災とか、熊本、火山の噴火なども印だと思うのです」

 

話していた人達は、現世利益優先の新興宗教ではなく、ちゃん連綿たる歴史を持つ、世界宗教と呼ばれる宗教を信じる人達だ。

神は、人間に「気づけ!」と印を下さっているのだ、と。

だから、私たちは気づき、反省しなければならない、

まあ、そういうニュアンスで話しているのだけど。

 

しかしね、

東北でもなく、熊本でもなく、浅間でも桜島でもない所に住んでいる人が、それを言うのは、どうなんだ?と思った。

ハッキリ言って不快。

 

被災現地の人たちにしてみれば、

「それが神の印、であるとしても、なぜ、私が住む、ココ、で、あなたの住む、ソコ、ではないのだ?」

というだろう。

 

シリアで死んだ子供は、それでも私は生きたかった、というだろう。

こんな貧しい、石ころと戦火の中ではなくて、涼しい風が吹き花が咲く町でただの子供として生きたかった、というだろう。

 

その疑問に、神の印を感じ取る無邪気な、イノセントな人達は、どう答えるの?

 

東北の地震の時、即座に「天罰だ」といった、石原慎太郎を、やっぱりコイツは底なしのバカだと、思ったけど、それとどう違うの?

いや、違うことは解る。言いたいこと、真意は解る。

しかし、被災して家も家族も友も仕事も生活も失った人が聞けば、それは同じだ。

 

どうして私で、あんたじゃないの?

神の印でも、天罰でもいいけど、どうして「私」なの?

 

その問いに、

「あなたば選ばれし者だ、神はあなたを祝福したのだ。今は辛くても、今にあなたにも判る」

とでもいうの?

そして、それを受け入れれば、あなたは「なぜ私が」という苦しみから救われ、幸福を感じるだろう、と?

 

私がそう言われたら、

「印なんぞは、あんたにくれてやる。

私から奪ったすべてを返せ。そのために地獄に堕ちてもかまわない」というだろう。

 

「神の印、天罰」

自分の頭の上に落ちてから言え。

他の人の上に印が現れたのなら、「神の印」を受けた人の前に、自分の全財産を投げ出してから言え。

自分はのうのうと飯を食いながら、言うな。

 

私が宗教者に対して、一番イヤだと思うのは、その「イノセントさ」だ。

25年も前のドラマだけど、笠 智衆主演で「老い」がテーマ。

東北を旅する笠が、あれは北山崎かどっかだろうか、断崖に立ち、飛び込もうとして、出来ず、号泣するシーン。

見ていて、一緒に号泣してしまった。

 

あのシーンを、時折思い出して何度も考える。

 

東京の家を出て、遺書も書き、遺言も残し、旧友を訪ね、完璧な死出の旅のデザインをしたのに、最期の行動に踏み切れない。

笠の号泣は「なぜ、死ねない」という自問の凝縮。

 

笠は、そこそこに幸せな家庭を持ち、企業戦士として働き、孫もでき、穏やかな老後を迎えた、昭和の時代を生きたサラリーマンとしては、平均的というか穏当な人生を過ごした人だ。

妻に先立たれ、これ以上の人生への執着もなく、今後老いて子や孫に面倒をかけることを忌避し、一切を整理して死出の旅に出た。

 

順調にそのプログラムは進行したのに、最期の最期で、自ら踏み切れない。

笠の絶望感が心に刺さった。

 

笠はなぜ死ねないのか?

 

ふと思ったのだが、それは笠が「幸せな人生」を生きたからではないのか?

笠が自分の人生の結末を自分でつけようと決意したのは、その「幸せな人生」を老後において汚したくなかったからだ。

子供達に面倒をかけ、彼らの人生の邪魔をすることで、自分の人生を汚したくなかった。

 

「よく生きた人生」、「愛されたおじいちゃん」のままで人生を完遂させたかった。

人生の最終シーンで、「疎まれる人」になりたくなった。

すべてを自分の意志のあるうちに決着をつけたかった。

 

しかし、できない。

それは、そこに「絶望がないから」ではないか?

 

人生を不幸の極みと感じ、絶望の苦痛から逃れるためになら、人は自ら死に飛び込むことができる。

しかし、「幸せな人生」を全うし、完成させるために、自らを殺すことは、人の本能としてできないのではないか?

 

自分を幸せにしようとするのは、生きるものの本能だ。

快楽を求め、不快を避けるのは、本能的行動だ。

 

だから、笠は「幸せである人生に自ら終止符を打つ」という、反本能的行動を完遂できない。

できない自分に号泣する笠。

「生きたい」という本能に翻弄され、自分の望む幸せな人生を完成させられない自分自身への絶望の深さ。

 

心に刺さったままだ。

 

イスラームの解説書を読んで、目からウロコっていうか、ナルホド、と思ったこと。

 

一神教というのは、日本では発生しなかった。

日本では、イザナギ、イザナミ夫婦が次々と神を産み、国中のいたるところに八百万の神々がいる。

ユダヤ、キリスト、イスラームはほぼ同じ地域で発生した、唯一絶対神が世界を創造した、という考え方。

神は唯一絶対、永遠不変。

 

どうして乾燥して草木もほとんどない地域で、唯一絶対神という考え方が発生したのかな、と漠然と思ってた。

そしたら、あるイスラーム本で、

緑や花は美しいが時が過行くままに移ろう、しかし、岩と砂の砂漠はいつも同じ、絶対不変の存在。

と書いてあってナルホド、と思った。

 

繁り、咲いて、枯れ、季節が廻れば、また繁り、咲き、枯れる、という世界には、唯一絶対不変なのは、「諸行無常」の事実だけ。人も緑も花も、水さえも、時の移ろいに翻弄される。

絶対不変の存在ではない。

 

ところが、砂漠の砂、岩は、いつも荒涼と広がり、デンと立ちはだかり、変わることがない。

唯一絶対不可侵な存在を感じ取り、恐れ、叩頭し、身をゆだねる。

 

理解できる気がした。

たぶん、この本だった。

 

「砂漠の思想」って本、安倍公房だったかな? なに書いてあるんだろう?読んでみよう。

 



雪が積もっているみたい!

カモさんも、桜を堪能、お花見中?
いや、花より水草? お食事中です。

いきなり最初のタイトル画面の「ie」が気になる続けた・・・
「スパイって、ieなんだ・・発音はアイ? 
 母音が続いてるけど、e じゃなくて、i を読むのか・・
 じゃなくて、スパイって y じゃないの?・・」

いや、ほんとにどうでもよかった。
複数形だからyがiesになった。 私が複数形だってことに気づいていなかっただけ。

そう、原題は「スパイズ」 。 「スパイたちの橋」

冷戦当時、国交のない東ドイツとアメリカが捕まえたスパイを交換する、という、言ってみれば、それだけの話なんだけど。

冒頭、マーク・ライアンス=ドイツ人アベルが、NYらしき町を歩いていく。
その後を追う男たち。
すれ違う人達、道路をふさぐ群衆。みんなみんなスパイに見えてしまう。

「みんな スパイ」、あれは、星新一?別役実? などとまたツマラナイことを思いつつ、レッドパージの暗黒時代のアメリカの風景を目で追う。

すっかり考え深い風貌になったフォレスト・ガンプに気を惹かれて、みようって気になった。
だけど、トム・ハンクスよりもずっとずっといいのが マーク・ライアンス=ドイツ人アベル。

しがない絵描きというか、絵が趣味みたいな、気弱そうな男。
いきなりCIAにアパートに踏み込まれ、スパイだと決めつけられ、裁判にかけられる。
なのに、「しかたない」みたいな諦め顔で・・・・という風にみえる初老の男。
ほんとはもっと若いのかもしれないけど、老けてみえる、覇気のない男。

ところが、このスパイ容疑者アベルの弁護をすることになったトム・ハンクス=ドノヴァン弁護士は、アベルと話すうちに、アベルに敬意を抱くようになる。



アベルが子供の頃、自国東ドイツでの体験を話す。
殴られても殴られても立ち上がり、ついに「不屈の人」と呼ばれた叔父の話をする。

ハンクス=ドノヴァンは、次第にアベルの人格に惹かれていき、その一方で、CIAが捜査令状なしに家宅捜索をし、逮捕し、国民はマスコミに煽られて有罪・死刑を求める、判事さえもその風潮に迎合する、自分の「祖国アメリカ」に疑問を抱くようになる。

出身としてはアイルランド人であるドノヴァンは、自分の良心とアメリカ憲法に忠実であることを誓った人間が「アメリカ人」という信念をもっている。
多民族国家、移民の集合体アメリカでは、「アメリカ憲法を守ることを誓った人間=アメリカ人」という定義がごく当然なのだ。
したがって、ドノヴァンには、ドイツ人でアメリカに長くすんでいるアデルも、アメリカ人として当然、アメリカ憲法に守られなければならない。
でないと、ドノヴァン自身の法律家としての信念が脅かされる。

ところが、時はマッカーシー旋風、赤狩りの時代。
ドイツでは、ベルリンの壁が築かれ、冷戦が激化し、米ソはお互いにスパイを送り込み、スパイとみなした人物を、アメリカもソ連も不当な裁判でさばいている時代。

ドノヴァンは人間としての良心、法律家としての信念、そして、おそらくはアメリカ人としてのプライドを維持するために、つまり自分自身を否定しないために、出来る限りの知恵をしぼり、判事と交渉する。
そしてアベルの死刑を回避する。民衆からの非難・攻撃の嵐。
とっさに、「アメリカ=リンチの国」ということを思い出す。
「民衆のリンチ=法律」から「アメリカ憲法」までの道のりは、長く辛い道だったんだから、法律家ドノヴァンは、自分の生きる道として、リンチとは戦わなくちゃならないわけだ。
でも、それは家族にも危害が及ぶ選択だ。

ドノヴァンの心を支えとなっていたのは、アベルの「不屈の人」という言葉。

ただの一介のアメリカ人、保険担当弁護士であるドノヴァンが「政治」に直面し、戸惑いつつも自分の信念を維持しようとする意志が、「フォレストガンプ」に重なる。

スパイ交換の交渉のためドイツへ行ったドノヴァンは、戦争で破壊された惨状がいまだに残る東ベルリンをみる。

アメリカからみると、同じに見えるソ連と東ドイツ。
しかし、その両者間にも、当然国家としての駆け引きがある。
その狭間で、難航する交渉を、やり遂げて、スパイ交換は終了する。

アベルがブリッジを渡っていき、ドノヴァンはその後ろ姿をじっと見つめる。
口数すくないアベルが全身で表現するもの。
それが圧倒的。

アベルはもしかすると、処刑されたのかもしれないのだ。
見つめ続けるドノヴァンの心には「自分がしたことが何だったのか」、という煩悶が渦巻いていただろう。

この交換の功績により、のちに、ドノヴァンはケネディに抜擢されて活動したらしい。
アベルは妻子と再会したそうだ。

それらの後日談はともかく、
ただ、「1人の男のやさしさが 冷戦を止めた」とかっていうのは、やめてくれ。もう、全然違うから。
そういう「ロマンチックなフレーズ」が、どうしてそんなに好きなのか、ワケわからない。

国家戦略というのは、「1人の男のやさしさ」とか「冷たさ」でどうこうなるもんじゃないし、なってはいけないんだよ。
「1人の男の気持ち・嗜好」によって国や世界が翻弄された歴史が、ヒトラーだのアミンだのいくらでもあるのに、なんで、そんなロマンチックなセリフを真実っぽく思うのかね?

別にこの一件で、冷戦が解決したわけなんかじゃ、全然ないから。
ベルリンの壁が打ち壊されるまで、冷戦はもっともっとドロ沼にはまっていくから。
なんで、ああいう軽薄なコピーつけるのか、ほんとやめてくれ。

この映画を観た後で、「NHK新映像の世紀 第4集「世界は秘密と嘘で覆われた」を見て、同じ時代、もうほんと暗くなった。
1人の男の優しさなんかで、世界は救われたりはしない。

それでも人間は優しくなくちゃいけない、苦悩にまみれても信念を失っちゃいけない、ってだけだ。

ああ、でもとにかく、マーク・ライアンスのアベルがすごく良かった。
フォレスト・ガンプも素直に中年インテリに成長していたし、見てよかった。

クリムト

ヘレン・ミレンとクリムトの組み合わせなら、見ないわけにはいかない。
クリムトは竹橋の美術館で以来の、ひそかなmy favorite 。
ヘレン・ミレンは「REDリターンズ」や「マダムマロリーと魔法のスパイス」などで、いいな、と思った女優。
だから、半分お義理気分で観たのだけど、思いのほか良かった。

「マダムマロリー」も、お定まりのハッピーエンド、ハートウォーミングムーヴィね、と思いつつ観に行って、「なんだ! この陳腐さなのに、こんなに心に響くのはなに?」と驚いた。

ヘレン・ミレンに驚いたのは、この時だった。

「黄金のアデーレ」は「ナチに幸福な日々を奪われた女性が、かつて自分たちをナチに売った故国を相手に奪われた家族の思い出を取り戻す」、という物語だから、マダムマロリーより、もっと深い。

家族

結婚式

クリムトが描いた叔母アデーレの肖像は、実名を隠して「黄金の女 Woman in Gold」というタイトルでオーストリアの美術館が所蔵している。
アデーレの姪、マリア(ヘレン・ミレン)が、オーストラリア政府を相手取って返還請求訴訟を起こす。

アデーレ

ネックレス

「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」という画題を隠している時点で、オーストリア政府は確信犯だったのだろうか?
それとも国宝級の絵を失うという苦痛に耐えられなかったのだろうか?

ナチに支配されたオーストリアから戦中にアメリカへ亡命し、なんとか平凡に穏やかな老後を迎えたユダヤ人女性が、故国を相手に困難な訴訟を起こす。
この心理のたゆたいをヘレン・ミレンが見事に演じている。

休業

尊厳を傷つけられ、豊かさ、平和、愛する人たちを奪われた過去をフラッシュバックさせることの辛さ。
ナチに屈し、さらにナチが奪った個人の資産を、そのまま国の宝として継承し続けようとする故国の醜さに耐えられない愛国心。

ナチ

人は、自分の本意に反して、暴力的に国を奪われた場合、それを決して許すことはない。
表面上、許すとしても、まず、奪った者が自らの罪を認め、謝罪しなければ握手は出来ない。

ということをあらためて知らされる。
加害者側がしばしば、安直に忘れ去ってしまうのが、「許すことはできても、忘れることはできない」ということだ。

拒絶

オーストリア人の誇りをかけて、オーストリアを訴える。
マリアがオーストリアに抱いた感情は「自分の国が正義であってほしい」という愛国心だ。

アメリカへ逃げるために両親をおいて、ナチの追跡を逃れて出国するシーンでは、杉原千畝を思い出した。千畝の映画も近日公開される。
最近「ナチ叩き」の映画が多いのだけど、これは、日本だけではなく、世界のあちこちで、歪んだ愛国心が増長しつつあることへの危惧からだろうか?

ところで、マリアが弁護士ライアンにご馳走するパイ。

パイ

これが美味しそう
作ってみたくなった。でも、名前を忘れた。なんだろう?

もしかして、オーストリア伝統の家庭料理とかだろうか?
このパイだけで、マリアがオーストリアの富裕層出身であることが判る、とか、
あるいは、
そうじゃなくて、アメリカ生活にすっかりなじんで生きていることが判る、とか、
そういうことが表現されているのかもしれないが、日本人の私には解らない。

そしてまた、ウィーンが美しい。

この美しい街が戦火に破壊されずに残ったのは、ナチに身を売ったから、と考えるとなんとも複雑な気持ちになる。

破壊され、戦後、欠片1個づつから復元したワルシャワを思うと、ほんとにほんとに複雑な気持ちになってしまう。