22年間の結婚生活
うまくいってるっていうより
なんとかどうにか暮らしてきた。
新婚の頃は義母が諸悪の根源だとも思っていた。
でも夫もかなり問題人間だった。

義母の精力が加齢とともに落ちて
夫との関係がだんだん浮き上がってきた。

義母の存在が大きい過ぎてキャッチできてなかったことがいっぱいあった。

夫の生まれつきの頑固な性格や
価値観の不一致や
日本女性へのさげすみ
金銭感覚の違いとか

いつからかまともな会話なんてできなくなっていた。

そういっても
当時は離婚の悪者になる勇気がなくて
お金も心配で
離婚にも別居にも踏み切れなかった。

いつからか
離婚出来ないなら
早く死んでくれたらどんなにいいかと
本気で思っていた。

そんな頃
夫に脳腫瘍があることが判明した真顔

願ったり叶ったり?滝汗

当時の私は
自分の夫を嫌う思念が夫を呪い殺そうとしたと
それはそれは驚き落ち込んだ。

悪性腫瘍だったら抗がん剤治療&看病
治療費に生活費の工面
予後が悪いと三年ぐらいしか生きられないかもしれない
そんな心配が一気にあふれだす。

夫がいなければと思っていたわりに
明日にでもこの韓国で一人で4人の子どもを育てることができるのだろうか?

悲劇のヒロインとなり涙にくれた

私の思念が誰かを死に追いやるなんて想像しただけでゾッとして、私は一心に看病した。

夫の脳腫瘍の位置は脳下垂体の辺りで視神経も圧迫していた。すでに70%視力低下があってどこまで回復するかわからないし、腫瘍は摘出できても視神経を損傷して失明の可能性もあるとか。

夫が盲人になっても生涯付き添おうとも思っていた。
それが呪った私の罪滅ぼしだと。

幸い病院にすぐ入院でき手術のスケジュールもありえないくらいすぐに決まり手術も成功した。
細胞検査の結果は良性腫瘍で療後が良いらしい。
(今でも元気)

術後、ICUでの治療期間の約2日間は手術待合室で過ごした。面会時間は1日2回でそれ以外は待合室でうろうろしていた。入院した時の病室は手術の時に開けるシステムで一人で荷物の移動にものすごく苦労した。コインロッカーに保管するようにと案内されたのになんとロッカーの空きが一つもないのだ。スーツケースと布団を抱え空きを待った。(日本みたいな完全看護制度なんてなくて、付き添い人必須&泊まり込み用の布団は持参なのだ)ロッカーのそばには椅子なんて気の利いたものはなくて大荷物を抱え行ったりきたり。ようやく空きができたときは深夜だった。そのまま待合室で眠ろうかと行ってみるが寝るにはあまりも寒く、看病の前に私が倒れるなぁとモーテルを探して泊まった。

夫は頭部の手術で術後起き上がることができず
寝たまま食事し、歯磨きやら、排泄やら全部介助。
消化系の病気じゃないから、
よく食べるし、よく出た。(1日2回とかびっくり)
5日くらいこんな介助生活だった。

夫とはいえ、しもの世話の後に食事ってできなくて、
しっかり食事もできなかった。

喉が渇いたら水を飲むけど
ストローで飲めないから
うまくコップでのませないといけいし
(こぼしたり適量飲ませないとまたレーザーを浴びる)

24時間点滴もしてたらおしっこの処理もしないとで
夜もゆっくり眠れない。

精神的にも体力的にも辛かった。
看病が楽しい人なんていないだろうけどね。

もしかしてこれがきっかけに夫婦仲が劇的に改善するかもしれないなんていう期待もあったりして
辛かったけど献身的に看病した。

病室は2人室でお隣さんは大変仲良しなご夫婦。
会話が途切れることがない。
ご主人を心配する奥さんと
疲れた奥さんを労わるご主人。
疲れた様子が出ると肩をさすって
苦労かけるね
今は大丈夫だから 少し寝たらなんていってる。
みてるだけでも仲の良さが伝わってくる。

(おい旦那耳があるならちょっとは見習え!と心の声)
それに引き換えこちらの夫婦は
会話がない。
あれこれ気に入らないと目からはレーザー光線発射
感謝やいたわりの言葉なんかあるわけもなく
全てがただただ当たり前だった。
看病が大変だろうと妻の役目。
夫あっての妻であって
妻が夫に献身するのは至極当然。

介護や看病って
そりゃぁ感謝されようとか
恩に着せようと思ってするんじゃないでしょう。
あの時は私の夫を嫌っていた想いが
夫を病気にしたようで
その申し訳なさで必死だった。

そして退院

“お前がいなかったら僕は死んでたかもしれない
苦労かけたな“

投げやりだけど
ことばの足りない夫にしては最大限の感謝の言葉。

嬉しかった。

でもそれっきり。

夫に尽くすのは妻の役目だから。
そして
患部保護のため
*1キロ以上の重い物は持ってはいけない
*頭を下げてはいけない
という頭部手術後の注意事項を守る生活。
日頃から男でのいることでも私がしてきたけど
それが名分化した。

ますます私のする些細な事が増え
でもそれが当たり前の毎日

不器用な男性に
気配りとか思いやりを
望む方が間違っているかもしれないけど

生死の境までいってきて
また元の生活が繰り返されるって
一体なんだろう?

喉元過ぎれば熱さを忘れるって

こういう事なのかな

死にかけた夫は
健康を回復していつもの(私をダメ人間扱いする)日常へ。
さらには加入していた保険で脳腫瘍関連の診断金が全くなく、なんでこんな使えない保険を契約したのかと大剣幕。 
一つ変わったことは20年以上吸ってきてあれほどやめてといってもやめられなかったタバコをスパッとやめたこと。
死にたくはないらしい。真顔

私も献身的に看病したけど
私への態度は何も変わらないまま。
夫への申し訳なさんてどこかへ飛んでいった。

死んで欲しかったとは流石に思わなかったけど。

もしあの時夫が死んでいたら間違いなく
義母に罵倒されていたはずだ。
“ 이년이 우리 아들을 잡아먹은 년이야!
우리 아들 살려내!!!”
(この女が私の息子を殺したんだ、息子を生き返らて!)
日本語でうまく伝えられないなぁw

夫と死別では夫実家との関係が残ってしまう。
この方たちには1秒でも早く
私の人生からお取り引き願いたい。

“やっぱりダメなものはダメなんだな。”
離婚が一歩現実化した。

今日のひとりごとはここまで。
長いつぶやきにお付き合いくださった方
ありがとうございます😊