過去生を追求する〜420年の時を超えて〜 | 幸せな明日をさがしに

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占い師MAOが、幸せをさがして歩く記録です。

みなさんは、自分の過去生について知りたいと思うことがありますか。

 

しかし、「輪廻転生」があると言うのが大前提となります。

 

ちょっと前にこんな話ををしたら、頭がおかしいか、どこかの宗教に傾倒しているのか?と言われたかもしれません。

 

感染症の蔓延で、社会構造だけでなく、人の思想までもが変わってきました。

 

人は簡単に死んでしまいますが、そう簡単には死なせてもらえません。

 

でも、繰り返し様々な人生を生きているとなれば、ちょっと自分の人生の考え方も変わります。

 

 

 

その始まりは、もう15年以上前の話に遡ります。

 

自分の過去生があると確信していたわけでもなく、単にたまたまそう言う機会があったので、好奇心からヒプノセラピーを受けました。

 

それは、単に生活の一部を切り取ったようなシーンの羅列でしかなく、全く前後の脈絡がない映画の中にいるような経験でしたが、なぜか感情だけは「悲しい」「怖い」と言う臨場感のある感覚がありました。

 

そこに出てくる人物たちとは普通に会話ができ、当たり前にそこの生活を続ける自分がいました。

 

その時は、ある女性の一生を、ある時代のある時を漠然と駆け足で経験しました。

 

時間は5時間くらい掛かっていた記憶があります。

 

なかなかに面白い経験でした。

 

それが、その時からさらに10年ほどしてから、現実の生活で不思議なことばかりが起こる経験をしました。

 

超常現象が起こるのではなく、不思議な巡り合わせというか、人やモノとの出会いがあまりにも偶然というにはできずぎていました。

 

そして昔に受けたヒプノセラピーを思い出し、もう一度受けて見たくなりセラピストを探したら、知り合いの奥様がなさっていたというご縁で、再びヒプノセラピーを受けることになりました。

 

結局、トントンとカウンセリングの日時が決まり、前回のわからなかったころの穴埋めをすることができました。

 

本当に不思議で、今経験している現実社会のご縁が、決して『たまたま』ではないという確信に至ります。

 

ですが、だからと言って今の人生で、私はどうしたらいいのかは疑問のままでした。

 

そして今も、悩みの真最中です。

 

ですが、私は人を癒したいという思いが強く、自分が辛い時をずっと過ごしていたので、同じ思いの人を救いたいという衝動があります。

 

これは、こうしたいという希望や望みではなく、体がつい動いてしまう衝動です。

 

前世も苦労の多い人生でした。

 

一人で子供を育てながら、男の人に混じって人足の仕事をしながら、港町や炭鉱を流れて人生を送っていたそんな女でした。

 

親に捨てられたと思っていましたが、親は歴史的な騒動の中で命を張って私を助けてくれていたことを晩年になって知ります。

 

晩年の私を救ってくれたのは、娘でした。

 

まだ娘が小さい時に、私たち母子を奉公人として拾って面倒意を見てくれた差配業の商人が、娘を養女にしてくれて、そこからお嫁に出してくれました。

 

その後、その商家は潰れてしまい、行方が分からなくなってしまった娘が、ずっと私を探してくれていました。

 

その時は娘も自分の子供が育ち、私も歳をとっていましたが、本当は武家の娘であったこと、お家断絶の憂き目に遭い、両親は命が危ない中逃げ切り、私を山のきこりに預けて命を救ったことなどを知ります。

 

母はもう亡くなっていましたが、父は健在でした。

 

その時、桑名藩の家老職だった父とその家臣や、幕府の要職だった亡き祖父を支えてきてくれた家臣たちが、私を迎えてくれた時のことは忘れられません。

 

父が桑名藩に取り立てられるよう、力を尽くしてくれたのが写真にある肖像画の武将、藤堂高虎です。

 

今は、まだ詳しいお話ができません。

 

歴史的な裏付けが何もないのです。

 

今は、祖父は罪人の汚名を着せられたままの状態です。

 

ですが、きっと近いうちに資料が見つかり、ことの真相が明らかになることを信じています。

 

祖父を罪人として糾弾したのは、徳川家康でした。

 

そして、なぜだか新しく会う方々が皆さん滋賀県とのご縁で繋がっています。

 

滋賀在住者はもちろん、単身赴任で、別れて住んでいた奥様とお子さんが、最近滋賀県に越したばかりだとかいう、無理矢理か?と思うご縁もありました。

 

滋賀に一体何があるのかがわかりませんでした。

 

私自身は、日本国内は東京から一歩も出たことがない人間で、親戚も東京にしかいませんでした。

 

結婚して義母が滋賀の出身で、結婚してから初めて滋賀県に足を踏み入れることとなります。

 

それから、海外で知り合った人が滋賀出身で、その人のお母様と義母が幼馴染とわかった時は腰が抜けました。

 

というのは、大袈裟ですが、あり得ないと思いました。

 

そして、祖先を調べていったのです。

 

私の先祖は、長野県の人でした。

 

その一部が東京の練馬に移り住み村を作っていました。

 

祖父はこの村の出です。

 

そして、東京に出なかった一部は、長野から滋賀に移り、甲賀忍者の一家となりました。

 

本当に奇遇ですが、私の前世の父は忍びの一族です。

 

 

現在私は、実際に歴史研究のグループに入っていますので、何か資料が出てくればすぐにわかるところにいます。

 

前世への興味もありますが、現代の自分の生き方に何か影響があるのか?何かしなければならないことがあるのかが知りたいところでもあります。

 

ご先祖様たちは、まずは自分の人生をしっかり生きなさいと、応援してくれているのは実感しますので、日々感謝と重荷、自分を大切にすることができたらいいなと思っています。

 

大切に生み出してくれた、ご先祖様たちのご縁つなぎ。

 

私のお役目がしっかりと果たせるように、応援していてくださいね。

 

頑張ります。