前回(クリックで飛べます)に引き続き、「鬼滅の刃」を占い師の視点から書かせていただきます。
前回、キャラクターの名前に注目しました。
今回も引き続き、名前の話から始めます。
主人公の「竈門」さんという苗字は、実際にいらっしゃるお名前のようですね。
ネットの情報だと、全国に20人ほどいらっしゃるようでした。
このブームの影響を少なからず受けていると想像します。
まさかの展開ですよね。
さて、炭焼きの「炭次郎」って、結構単純です。
ですが、炭そのものに意味がありますね。
炭は、一度木材を密閉したところで焼いて、不完全燃焼させることで出来上がります。
炎と空気の、絶妙なバランスで良い炭が出来上がるわけですが、元々、炎そのものに神聖さを感じていた私たちは、炭にも同じように神聖さを感じていたわけです。
炭焼きは、有毒ガスが出たり、材料がすぐに手に入るので山の中で焼かれています。
山の民と、神様の関係はとても深かったことはよく知られていますね。
また、金属の精錬や精製と炭の関係も重要です。
鉱山の近くには、そういう場所があり、山の民が働いていました。
今回日輪刀が、特別な鍛え方をしている設定です。
刀鍛冶は現代に於いてもやはり「神聖」な仕事であり、今でも女性は刀を作ることができません。
昔は、火のあるところには、必ず神様が祀られていました。
カマドも同様です。
また、竈の神様を荒ぶる神「荒神(こうじん)様」といい、今でも半分神様、半分仏様のような特殊な扱いになっていることが多いです。
これがですね、非常にスサノオの扱いに似ていると、個人的には思っています。
祇園祭で有名な八坂神社は、スサノオを祀る神社です。
スサノオは仏教では「牛頭天王」とされ、同一のものですが、読んで字の如しで「牛」の頭をしています。
要は、ツノが生えている、荒ぶる神であります。
そのスサノオが、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を倒して手に入れたのが、「天叢雲の剣(アメノムラクモノツルギ)」です。
これは現代でも、熱田神宮に祀られている、いわゆる<三種の神器>の一つですね。
これは、八岐大蛇に象徴される製鉄を生業にする山の民を倒して手に入れたのが、この剣であるという説もあります。
「刀」と「炎」と「鬼」の関係が、なんとなく日本の歴史の中に当たり前のようにいるわけです。
さて、この「鬼滅の刃」という物語は鬼を倒すのに、首を取りますね。
昔から戦で首を取る習慣がありました。
完全に息の根を止めるにはその必要があったからでしょう。
「鬼の首を取ったよう」という慣用句があるように、私たちにはとても馴染みのあることです。
そして、鬼の首と言えば、「将門の首」に連想が及ぶと思います。(結構無理やり)
実はこの「鬼滅の刃」のお話には、「平将門」の影がついて回ります。
将門の時代は、10世紀。
それこそ鬼舞辻無惨が鬼になった時代と重なります。
柱の一人「風柱」の不死川実弥の出身地は、京橋です。
「将門の首塚」があるのは、大手町ですが、地理的には京橋のすぐ隣です。
そして、首塚から京橋を挟んで反対側には「水天宮」があります。
水天宮さんのご祭神は、安徳天皇、二位の尼、建礼門院です。
この三柱は、源平合戦の際に瀬戸内海に沈んだ安徳天皇とその母である建礼門院、その母の二位尼は平清盛の妻です。
建礼門院に関して言えば生き残ってしまい、京都大原で自分の子供を始め戦に散った平家の菩提を弔うことに生涯を捧げます。
将門は、それより前の歴史の人ですが、その将門と戦ったのは藤原氏です。
平家は戦に<負け組>ですので、後世に祟りを残していると伝えられ、様々な時代において恐れられていました。
藤原氏の家紋は「藤の花」です。
最初に、鬼殺隊に入るために炭次郎が戦った場所である藤襲山(ふじかさねやま)には、鬼を避ける沢山の「藤の花」が咲いていました。
藤原氏は各時代を超えて、鬼退治の話が伝えられていることでも知られています。
また、藤原千方(ちかた)は、四人の鬼を従えていたというお話があります。
この四人の鬼は、どんな武器も弾き飛ばす硬い体の「金鬼(きんき)」、強風を繰り出す「風鬼(ふうき)」、洪水を起こさせる「水鬼(すいき)」、四人目は諸説ありますが「土鬼(どき)」か「火鬼(かき)」です。
どこかで見たような・・・です。
うう、また長くなってしまってきりが悪いので続きます。
なかなか本当に言いたいことが書けないです。
いつ書き終わるのだろう。
先は長い・・・。