「冥福」を祈ってはいけない | 幸せな明日をさがしに

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占い師MAOが、幸せをさがして歩く記録です。

 

昨今、様々な災害や事件事故、今回のコロナの件で亡くなった方に哀悼の気持ちを表現するのに

 

「謹んでご冥府をお祈りします」

 

という言葉をよく聞きます。

 

この言葉を聞くたびに、非常にやな気持ちになる人はそう多くはないのでしょう。

 

昔はこんなに、「ご冥福」が使われていなかった気がします。

 

そもそも、「冥福」とは何でしょうか?

 

お葬式を執り行う業者のサイトなどでは、「一部の宗派では、あえて使わないので使わない方が無難」などと出ているところがありました。

 

「冥土」(めいど)と言えば、「あの世」のことですが、若い人は使わないのでしょうか?

 

よく「冥土の土産に、〇〇をする」「冥土の土産に〇〇を食べる」というセリフを言いました。

 

滅多にない機会だから、経験しようという意味です。

 

要は、生きている間は旅をしているわけで、故郷の「あの世」に戻った時に、旧知の仲間と土産話になるような経験を、現在の世でするということです。

 

「冥」は冥府(あの世)のことを指します。

 

その冥府の土地であるので、「冥土」。

 

では、「冥福」は?

 

直訳すれば、「あの世での幸せ」です。

 

しかし、宗教的に言えば「あの世」はすでに幸せな所のはずです。

 

キリスト教の「天国」というのも、そういうところのはずです。

 

なので、「浄土真宗」は浄土(あの世)思想なので、特に「冥福」を言わないようです。

 

 

しかし、元来浄土真宗だけでなく、昔は一般的にもそういう考え方でした。

 

では、なぜ「冥福」という言葉が出てきたのでしょうか?

 

昔は、とても生きにくい時代がありました。

 

人々は、食べられなかったり、殺されたり、奪われたり、激しい生死の境を生きていました。

 

ですから、元々は死んだ後は幸せになれることを祈ろう、祈ってあげようという意味からきっと来ていたのでしょう。

 

しかしその後、意味が転じて、

 

酷いことをした人や、憎い相手に対して

 

「こんな酷いことをしたのだから、きっと行く先は地獄に違いないけど、私は冥土で幸せになることを祈ります」

 

という嫌味な意味で、冥福を祈ったのです。

 

いつの時代にどういう経過でそうなったのか、詳しい話は知りません。

 

つい最近(ほぼ江戸時代あたり)では、悪口に使われていました。

 

「てめえなんざ、冥福を祈ってやらあ!!」

 

って感じでござんす。

 

ですから、「冥福」は祈られてしまったら、相手に嫌われていると思っていい感じです。

 

しかも、今では「謹んで」ご冥府をお祈り申し上げちゃうわけです。

 

ちゃんちゃらおかしいやい!!

 

と江戸の人は言うかもしれません。

 

どこまでも上から目線の言葉でございますので、ぜひみなさんはお使いになられない方がよろしいかと存じます。

 

東京都知事(2020年4月時点)の小池百合子さんは、「お悔やみを申し上げます」とちゃんと言っています。

 

誰が冥福を祈ってるか、テレビを見ているとわかります。

 

そう言うシニカルな気持ちでニュースを見るのを密かな楽しみにしているのは、趣味が悪いでしょうか?