アメリカでは「褒めて伸ばす」文化だと言われるし、謙遜という考えのない文化で、他人に対して、自分の身内の褒め言葉を伝えるのも、美徳のような感覚があり、昭和の日本で育った私からしてみると、みっともないくらいに、自分の子供の事を美化して伝える人が結構いる。私は、元々、何に関しても辛口評価をする人だけど、それを差し引いても、凄い才能がある、とか、とても頭が良い、というようなコメントは、八割引きくらいの評価にしか値しないことが殆どだ。
私のピアノ教室ではウェブサイトもあるし、大手のサーチエンジンの検索でも、それなりに目が付くところに引っ掛かるようで、ウェブを見てメイルで問い合わせをしてくる親御さんも多い。そういう方の半数位は「家の子はこれが出来て、あれが出来て」とか「とても頭が良くて物覚えが速い」などと言うコメントを書いてくる(実際は、私の基準からしたら、出来ない方だし、同じ年齢の他の子と比べても、いたって標準の事が多い)
先日も、長々と自分の子供がどれだけ素晴らしいかを書き連ねてきた親御さんがいた。
その方の子供は8歳とのことで、今までピアノのレッスンを受けてきたのだけど、もっとしっかりと音楽教育を受けさせたいので、先生を変えようと思っているとのこと(多分、今の先生は「楽しけりゃいい」みたいな感じで、何となくピアノで遊ぶだけのレッスンなのだろうと想像する)そして、絶対音感があり、聞いたら直ぐに覚えてしまうので、家の子には突出した才能があるというような文言がずらずらと並ぶ(私は、今、メイルの内容を要約したけれど、これだけの事を伝えるのに、三倍くらいの書面積を使っていた)
でも、私に言わせてみれば、絶対音感は基本的に生まれ持っているか、いないかの、身体的違いであって、自慢するの能力、特性でもないと思う。それに、自分で音程を作る弦楽器とかでは、絶対音感は有利だろうけれど、音程が既に決まっているピアノでは、あってもそんなに特になる性質ではないと思う。
そして「聞いて直ぐに、耳コピで弾く」は、このくらいの年の子供では、そんなに珍しいことでもないし、ピアノレッスンで耳コピで弾いているという事は、楽譜が読めないという事と、私の脳内では変換される。楽譜を読むこと、自分で拍を取ることを、ばっちりと教える私の初心者向けレッスンでは、耳コピ能力は概して障害になることが多い。耳に頼ろうとするので、楽譜をしっかり頭で理解することを怠る結末になる。
この親御さんは、名前から見るに、子供の教育熱心で知られる系の移民で(親御さん自身が2世とか3世かもしれない)自分の名前の後ろに学位を示すイニシャルを付けているので、自分の高学歴(といっても、私とたいして変わらない)を誇張したい人という印象を受ける。本人も子供の頃にはピアノレッスンを受け、今でもピアノを弾くらしいけど(それも、ジャズとか譜面を読まないものではなく、どちらかというと普通の楽譜を読んで弾く趣味のピアノ)それなら、ピアノでは絶対音感は、そんなに役に立つ能力でもないし、耳コピ=楽譜読めない(読まない)、くらいの推測は出来そうに思うのだけど。
まあ、結局、家のスタジオからは遠いという事で(ネットで検索したのなら、家のだいたいのエリアは分かるだろうに、なぜ、頓珍漢な土地勘で連絡してきたのも不思議だ)入門しないことになったので、私としては、こういう親御さんと付き合わなくてよいのは助かった。








