「あの日」からもう28年か…(遠い眼)。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 1994年に、今は亡き晴海の東京国際見本市会場新館において「JAF-CON III」が開催されてから、本日で28年となります。先日の片付けの際、その公式ガイドブックが出てきたので、当日の事をしみじみと思い出して、感慨に耽ってしまいました。

 これは、私にとって初めてのGKイベントであったのみならず、私が上京してから初めて参加したオタク系のイベントだったのです。

 前年まで仙台に住んでいた私にとっては、JAF-CONもワンフェスもコミケも遠い世界の話で、ホビージャパンエクストラ1993夏の号に掲載されていた、JAF-CON’93で販売予定の「隠し砦の三悪人」製の1/100Sガンダムの写真を見ながら、当日参加する人達を羨ましく思っていたモノでした。当時はSガンダムが1/100でキット化されるなんて、夢にも思ってませんでしたからねぇ

 それが、翌年に脱北」が叶い、東京で一人暮らし(当時の住所は浦安でしたが…)を始めてからは、ブラック企業苦しみながらも(汗)、週末はまんだらけイエサブに通い詰めたりと、仙台在住時以上のオタク生活を送る事になったのでした

 当日は初ボーナスを手に、ドキドキしながら並んでいたモノでしたが(晴海自体足を運んだのもこの時が初めてでした…)、当時から徹夜組って居たんでしょうねぇ。そして、開場時、そこで目にした数々のガンダム系GKの迫力とクオリティは、私の想像を遥かに超える物でした。大袈裟かもしれませんが、このJAF-CON IIIこそが、私のオタク人生を一変させてしまった、と言えるでしょう。丁度、当時はGガンダムが放映中で、私のガンダム観も一変させられた時期でしたし。特に個人的にツボだったのが、「G×G」の1/144RX-78withコア・ファイター

「1/144カトキ版RX-78のGK」と言えば、前年にB-CLUBのそれを通販で買ったのですが、それとは比較にならない程の出来の良さ。この年販売されていたのは、上の写真と同じHGインスト版でしたが、翌々年からは、腕部等のパーツがセンチネル最終回版へと変更された物が販売される事になったのでした。

 その他にも、「アートギャラリー」製の1/100Ex-Sガンダムを始め、

センチネル系のMSズラリと。まあ、中にはアレンジがキツかったり造形的にもイマイチな物があったりしましたが。当時はまだデジタル造形もありませんでしたしねぇ。

 しかし、その欲しかった物全てを手に入れる事は、当日は出来ませんでした。何しろ、ボーナスも少なかったモンですから、後日、中古店で手に入れる事になったのでした。以後、中古店やワンフェス、スーフェスといったイベントに足しげく足を運ぶ癖が付いたのですが、特に最後まで難関だったのが、先述の「隠し砦の三悪人」製の「オールガンダムスペシャルパーツセット」。

このセットに入っていた、先述の1/100Sガンダム(翌年、冬のワンフェスで入手しました)に対応したと思われるGUNDAM System」のマーキングのデカールが欲しかったのでした。もっとも、このデカール、マスグレのSガンダムと同様、後にガンダムデカールで商品化される事になるのですが…。

 

 そして翌年、同じ晴海の東館ガメラ館)でJAF-CON IVが開催されました。

 この時は、先述のスペシャルパーツセットのうち、デカールのみを入手出来たのでした。

 そして某中古ディーラーにおいては、1/144Ex-Sガンダムとセットになって売られていた、かつてワンフェスでセンチネル・ワークスから販売されていたSガンダムのレジン製頭部も手に入れる事に。

 「アートギャラリー(M-FORCE)」からは、前年のEx-Sガンダムをベースにしたと思われるディープ・ストライカー(!!)が販売されていたのですが、そのボリュームと¥48,000という価格に手が出せず…。当時はそのディープ・ストライカーが1/100でキット化されるなんて、夢にも思ってませんでしたからねぇ

 あと、某ディーラーからはデカール付きのEx-Sガンダムの販売が告知されていたのですが、真っ先にそのブースに足を運んだものの、そんな物は影も形も見当たらず(完売したという痕跡すらありませんでした)、夢も希望もうち砕かれた夏の日でした…

 この1995年度は晴海最後の年で、この年に初めてコミケに夏冬共に足を運ぶ事になったのですが(前年は会社の都合で行けませんでした…)、それが、私にとって最初で最後の晴海のコミケとなったのでした。今や、その晴海の会場は跡形も無く、現在では、大失敗に終わった東京五輪の選手村に使用されていた分譲マンションが立ち並んでいます…。

 

 その翌年には会場をビッグサイトに移してJAF-CON Vが開催された(ちなみに、ビッグサイトに足を運んだのはこれが最初でした)のですが…、何と、この年からセンチネルの当日版権が下ろされなくなってしまったのでした。まさに、前年以上に夢も希望も(略)でしたが、この件を契機として、私の「ALICE System」としての活動が始まったのは、これまで何度も書いてきた通りです。その当日版権が解禁されるのは、2014年のキャラホビまで、実に18年も待たなければならなかったのでした。

 そして、ガンダムのGKの当日版権を受け継いだC3AFAの次回開催が、このコロナ禍で未定となってしまったり、例のKADOKAWAの『MS大全集』にセンチネルのMSが収録されなかったりして、再び「センチネル冬の時代」が…。