パソコンをサロンに置いてきちゃった。
なのでスマホからの投稿です。
今日のお話は、自戒をこめて。
わたしが一番
自分に言い聞かせるために書いた記事。
今でこそ特に言い争いもなく
平穏に過ごしていますが…
かつて
わたしが両親と不仲の頃。
父のあの行動がいや!
母のあの言動がいや!
あぁぁぁぁぁぁ、腹がたつ〜!
とにかく
いろんな人に聞いてもらっても
「マジで?それはキツイね」と
同情されるくらい
げんなりの毎日を過ごしていました。
(当時の話ね〜)
その後、
アドラー心理学に出会い
乾いた土に水を与えるように
考え方や視点を変えてくれました。
視点は変わっても
スイッチを押したようにわたしの感情が
オフになるわけではなくて
ゆーっくり、ゆーっくり
思考のハンドル操作を変えていきました。
なので、
頭でわかっていても
心はイライラする日が何度もありました。
そんな日に
「そうは言っても親には感謝」
「それも、子を思う親の愛情表現よ〜」
と、言われると
見えない心が鮫肌のようになる感じでした。
今、思うと
尽きない親への苛立ち、愚痴を
よく聞いてもらっていたので
そう言われても仕方なかった…
と思えます。
では、
その助言に効果はあったか、というと
全然ありませんでした


それは今まさに
お腹が痛いよー、もう死にそう…!
痛い、痛い、助けて!
と言う時に
体の声を聞きなさい
体は嘘をつけない正直者よ
と、言われている感じ。
今、痛くて喘いでるのに
お腹の声なんか聞いてられない!
反発してしまいます。
むしろ
どんな声かけがいいんでしょう?
・何してるの!早くクスリを飲みなさい!
・え!大変!痛いんだね!わたしに何ができる?
・お腹を出して寝たからよ!だから言ったでしょ!
わたしは
「痛いんだね、わたしになにかできる?」
と、言ってもらえると
助けてもらえそう!
心にスーッと受け入れられそうです。
痛みの中、
かろうじて機能してる一部の思考で
ぐぐぐぅ、苦しい、クスリをとって〜
と、言えそう。
話しを戻して
感謝だよ〜
と助言すること自体は良いものだと思います。
ですが
助言するのにはタイミングがあります。
今、現状、
心に痛みを感じる人の
イライラ・モヤモヤ・しょんぼりといった
心さざめく感情が、落ち着いた頃
聴いて、聴いて、聴き終わってから
助言のタイミングがくる。
その助言も
「こうしなさい、こう考えなさい」ではなく
わたしは、
こういう考え方もあると思うんだ
と、意見言葉で伝えると
押し付けではなく
対人関係の境界線が守られている感じがしますね。
完全に
わたし自身に
自戒をこめて書いた記事でした。