おはようございます。
奈良市の社労士 行政書士の村林です。
昨日はひさしぶりに真っ赤かの刑に処せられました。
作ったものが真っ赤に直されるというのはやはり凹みます。
今年の初め頃にも、この真っ赤かの刑にあい、これでもかというほどに打ちのめされましたが、
再びの到来でした。
でも考えてみれば
初めの修正が1番大きいのは当然。
1回目でガタンと修正箇所はへり、
その後は微調整で終局へ向かっていくのは自然なことで、
直せば直すほどよくなって完成度が高まっていくのもこれまた当然ちゃ当然で
凹んでるだけもったいないなと気がつきました。
私が凹もうが、成果物の完成度が上がってお客さんが喜んでくれはるなら、それでいいわけで、
何を勘違いしとるんだと、ある種開き直ることができました。
おそらく、社会人なりたて、新生活初めの方も、私のように
『できない』ことに対して過剰に反応することがあるかと思います。
それで凹むなとはいいません。
でも、まぁ、気楽に構えることも必要だと思います。
一回、二回で潰されててら何にもできません。
特に、行政書士の業務でいうと
記入例があってある程度調べながらできる許認可は、初めからおそらく70点はめざしていけるのに対し、
一から作る契約書の類は、白いキャンバスに絵を描くのと同じです。
書き直し、練り直しは何回でも必要です。
でもそれをやらないと、洗練されない。
だから苦しくても再考を重ねるんです。
再考を重ねて、嫌なものが削ぎ落とされたものはやはり美しくなります。
美しさに努力は欠かせない。
しゃーないです。