カウンセリング7/12「病識について改めて考える」 | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

今日は17時からカウンセリングでした。

最近、
mixiの昔の日記を読み返していたのですが
その中に
【自分は病気だと諦めていろんなこと言い訳して逃げてきた】
といった内容の日記がありました。

精神科の薬を断薬した後の日記でした。

昔の日記読み返してて
すごく複雑な気持ちになるのですが

【病識】って一体何なんだろう?

とふと疑問に思いました。

私は
双極性障害
自閉症スペクトラム(ASD)
解離性障害
PTSD
パーソナリティ障害(傾向)
の診断を受けています。

18歳の頃には双極性障害と診断されていたのですが
離婚して地元に帰ってくるまでは
パーソナリティ障害と診断されていて

地元に帰ってきて双極性障害と診断し直されて1年半。

確かに、
軽躁状態の時は病識がなかったと思います。

だから今
ラピッドサイクラーなのだろうとも思います。

でも、
病識を持つということは、
自分が病気だと認めることは、
一種の【逃げ】になってしまうんじゃないか。

そんな風に思えたのです。

その疑問を、
そのまま心理士さんにぶつけてみました。

心理士さんは

『病識は【逃げ】として使ってもいいんです。
    むしろ、【逃げ】として使ってください。
    頑張りたくても頑張れない時、自分は病気なんだ、病気の症状が出ているから今は頑張れないんだ、だから休もう。
    そういう風に考えてもらうためにも、病識を持つことは必要なことだと思います。』

と言いました。

何だかストンと納得できたというか
そんな気持ちになりました。

そうか。
病識を持つということは逃げかもしれないけど、
逃げでいいんだ。

そして心理士さんはこう言いました。

『まにゃさんの場合、頑張らない自分を認めることからですね。
    何もしないということを選択できるようになったら、それは休めているということなので。』

『今のまにゃさんは比較的落ち着いているので、何で入院してるんだろうとか考えてしまうかと思いますが、今のまにゃさんにとって一番大事なのは来月お子さんたちと会うことだと思いますので、
    それまでなるべく触れ幅が少なく済むように、安定した状態を維持するために入院しておく、というのは大事だと思いますよ。』

そっか。
私は【何もしない】という選択ができるように、
今訓練中なんだ。

無理に退院してまた自傷行為や大量服薬して
子どもたちに会いに行けなくなったりしたら
それが一番嫌だ。

だから、
暇を持て余すほど安定してはいるけれど、
子どもたちと笑顔で会えるために、
とりあえず8月21日(一昨年措置入院した日)を過ぎるまでは入院していよう。

そんな風に思えました。



他にもいろいろ話しましたが、
何だかブログ書くモチベーションが上がらないので割愛させていただきます。



次のカウンセリングは16日の15:30~。

次回もいろいろ話せるといいな。







今日は梅雨の中休みでとてもいい天気でした。


雲が綺麗。

午前中は寝て過ごして
午後はハンドメイドしてました。

が、やっぱりやる気が出ないので早々と終了。

院長先生が来てくれたので
寝る前のレボトミンが12.5mgから6.25mgに減ってから気持ちが落ち気味だということを相談しました。

結果、
12.5mgに戻りました。

まぁ、ゆっくり減らしていければいいか。

あまり減薬に囚われず、
のんびり治療しようと思います。







明日からは2泊3日で外泊です。

何も予定はないけど、
問題なく病院に帰れますように。

明日はどんな自分に出会えるかな。

明日も穏やかに過ごせますように。