前回の記事の続きです。
前回の記事は→精神障害者が働くということ①
所々思い出補正されているところもあるかと思いますが、
お付き合いいただけると嬉しいです。
「」→元夫or私orローカルユニオン、『』→社長です。
【これまでのあらすじ】
フルタイムパートを辞め、小さなリフォーム会社に正社員として就職した私(まにゃ)。
試用期間を終え、社長に障害者手帳を持っていることを伝えると
『正社員ではなく契約社員で、給料は20000円減らす』と言われる。
障害者差別とも言えるこの会社の方針に不信感を覚え、ローカルユニオンを頼ることに…。
2014年7月14日月曜日、
私と元夫はローカルユニオン(個人で入れる労働組合)のドアを開けました。
担当してくださったのは、
70代になろうとするベテランの方でした。
一連の経過をお話しして、
どうしたらいいか判断を仰ぎました。
「まにゃさん、それは契約内容の不当な変更と言えるね。
それが障害者だからという理由で行われるなんて、言語道断!
まずは、社長の考えをきちんと聞いてきてください。
録音も忘れずに。
そしてそれを文字に起こして、また持ってきてください。」
「絶対に、辞めますとは言わないでくださいね。」
と言われました。
そしてその足で会社へ向かいました。
元夫からは事前に電話を入れてもらいました。
「まにゃの夫です。
社長とお話したいのですが。」
と。
17時すぎなら大丈夫ということだったので、
その時間に行きました。
社長はいつもと変わらずニコニコした表情で現れ、
『まにゃさん、体調は大丈夫なの?』
という言葉からやりとりは始まりました。
「おかげさまで、よくなりました。」
と答えました。
そこからは元夫VS社長のやりとりが繰り広げられました。
「妻が障害者だから給料20000円減らすと言われた、と聞いたのですが。」
『障害者だから、って、そんな言い方ないよ。』
「では何故なんですか?」
『旦那さん、あのねぇ、こっちは会社の経営を考えなきゃいけないの。
大きなミスでもされたら信用問題に関わってくるわけ。
そこでまにゃさんは障害を持ってる。
こっちも慎重になりたいの。
旦那さんも会社勤めでしょ?
分かってくれないかなぁ…』
「今までの妻の姿を見ていて、障害者だからと言えるような事例がありましたか?」
『いや、ないよ。(即答)
むしろ新人にしては上出来すぎる。』
「それなのに何故今回このような提案をされたんですか?」
『だから言ったじゃない、会社としては保険をかけたいというか、まにゃさんの障害がどの程度なのか様子を見れる期間が欲しいわけ。』
「それは妻が障害者だからなんですね?」
『あー…うん、そうだね。』
「分かりました。
これは契約内容の不当な変更に当たりますね。」
『ちょっと待ってよ旦那さん、
もし旦那さんがここで誓約書書いてくれるっていうなら今回のこの話はなかったことにするよ。』
「誓約書?
何の誓約書ですか?」
『まにゃさんさ、これまでリストカットとかされてたじゃない。
もし今後そういうことが起こった時に、会社に責任を問いませんっていう内容の誓約書。』
「僕はそんな内容の誓約書は書けません。」
『どうして?』
「全社員に同じように誓約書書かせてるというなら書きます。
でも、違いますよね?
そこに障害者に対する差別があるからです。」
『なんで?
旦那さんが誓約書さえ書いてくれればこの話はなかったことにするって言ってるんだよ?
書けばいいじゃない。
それで全て解決なんだから。』
「僕は書けません。」
『どうして?』
「妻の働き方と僕は直接関係がないからです。」
『そうですか。』
「(ローカルユニオンの方の名刺を置いて)
今日この方と話をしてきました。
また追って連絡させていただきます。」
『旦那さん、感じ悪いね。
スマホ置いて明らかに録音してますって感じでさ。
そちらがそういう態度ならこちらも顧問弁護士に相談します。』
「分かりました。
それでは失礼します。」
要約ですが、一時間半くらい話をしていました。
私はほとんど口を開きませんでした。
私はこんな仕打ちをされた会社に戻る気はさらさらなかったので、
辞める方向で話が進めばいいなぁと思っていました。
数日後、内容証明が届きました。
会社側は闘う姿勢を見せてきました。
すぐにローカルユニオン担当者にfaxで送り
判断を仰ぎました。
「厄介な会社だねぇ」
と担当者は言っていました。
それからしばらくした8月中旬、
私は妊娠が判明します。
戸惑いしかありませんでした。
今回も、
娘の時と同じように、
(娘の時の記事は→10年前の自分に拍手を。)
産む産まないで揉めに揉めました。
予定日は2015年4月中旬。
このことも、ローカルユニオンの担当者に伝えました。
ここから、会社の顧問弁護士を交えた話し合いが始まりました。
会社側の主張は
『契約内容の変更については就業規則に書いてある』
でした。
もちろん私は就業規則の存在すら知りませんでしたし
どこにあるのかももちろん知らなかったです。
ローカルユニオン側の主張は
「社員に周知されていない就業規則は就業規則と見なさない」
とかそんな内容だったと思います。
話し合いは二ヶ月に一度程度。
私の体調不良も重なり、
最初の二回程は私も同席しましたが
2014年12月からは私が低置胎盤による切迫早産で入院したこともあり
話し合いはローカルユニオン担当者に任せて
私は安静生活を送っていました。
1月、2月、3月と月日は流れ
和解の方向でまとまりそうだという報告を受けました。
2015年4月2日、
私は大学病院で息子を出産しました。
そして4月下旬、
和解で話がまとまりました。
退職日は2014年7月14日。
出産手当てとして10000円。
この決定に異議を申し立てないこと。
等が書かれていました。
私はこの中の
【退職日は2014年7月14日】
というところで、
大きな損をするのです。
息子が産まれて一ヶ月経った頃、
私はハローワークへ失業手当の申請に行きました。
そこで私は
障害者の失業手当の給付期間が300日だということを初めて知るのです。
一般の給付期間は90日とかそれくらいですもんね。
びっくりしました。
ただし、【退職日から】という条件付きでした。
その場で【妊娠・出産のためによる給付延長の手続き】をし
社長と元夫のやりとりを文字に起こしたもの、その他ローカルユニオンでやりとりした際の資料等を添えて、
【特定受給資格者】に当てはまるかの判断を仰ぐことになりました。
私の場合はこれですね。多分。
・労働契約と実際の実務内容が著しく乖離することにより退職する場合
そして一週間ほど経って、
ハローワークから受給資格があることの連絡がありました。
ただし、給付期間は120日くらいだった記憶があります。
本来なら300日もらえてたはずの失業手当が、120日。
会社側はこれを知ってて退職日をこの日にしたのかもしれません。
今思い出しても、
悔しいです。
このような流れで、
私と会社の闘いは終わりました。
9ヶ月にも及ぶ闘い。
長かったです。
その中で私生活では
娘が児童相談所に一時保護されたり
(詳しくは→娘が児童相談所に連れ去られた日。)
いろいろありました。
私は、この経験を元に
障害をオープンにして働くことにしました。
2016年3月から働き始めた介護職では、
障害を伝えた上で雇ってもらいました。
離職する2018年1月まで、
休職と復職を繰り返しながら
迷惑をたくさんかけたのにも関わらず
悪い顔一つせず面倒見て下さって
感謝の気持ちしかありません。
従業員400人程いる大きな医療法人だったからでしょうね。
私は、働きたいです。
障害者雇用ではなくても、
障害者であることをオープンにして働きたいです。
今はまだ、
いつになるか分からないけれど。
いつかはきっと。
だから、頑張ります。
自分が笑顔でいられるように、
頑張ります。
こんな私ですが
これからも応援してくださると嬉しいです。
長くなりましたが
読んで下さりありがとうございました。
まにゃ。