10年前の私に拍手を。 | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

保護室生活、9日目。

昨夜、
10年前の自分の日記(mixi)を読み返していました。

そこには、
とても一生懸命頑張っていた私がいました。

娘の妊娠が判明した時の日記。

かなり長文ですが貼ってみます。



【以下日記】

・命と人生、どっちが大切ですか?
    2008年6月30日(29日深夜)の日記。

ライブ(6月21日)から一週間ちょっと経った。
心の整理ができて、それを実行に移す為に頑張ってきた。
今の気持ちを書いてみようと思う。
かなり長いです、すみません。
マイミクさんの中には不快な気持ちにさせてしまう方もいると思います。
ごめんなさい。

---+

妊娠が分かったのが5月中旬。
素直に喜べなかった。
ライブも何本か控えていて、バイトもしていた。
21日の○○(バンド名)でのライブを機に音楽をやめなきゃいけないことは頭では分かっていた。
でも、彼氏との関係もいいとは言えない状態が続いて、体調が悪化するにつれて精神的にも参っていた。
自傷行為も再発し、気持ちが外に向かなくなった。
自分が母親になるという自覚なんか持てず、控えているライブが全て終わるまでは自分の心境がどう変わるか全く予想できなかった。
私の母にも「今のままの不安定が続くようなら子どもは堕ろせ」と言われていた。
子どもを堕ろすなら彼氏とは別れようと思っていた。
でも別れたら実家に連れ戻されるのが目に見えていた。
私にとって子どもができたことは「仕方がない」こととしか思えなかった。納得ができなかった。
だからずっと悩んでいた。
あの時の私にとって21日のライブは唯一の救いであって、その為に生きていたというのも少なからずあった。

ライブが終わって、いろんなこと考えた。
彼氏とのこと、子どものこと、私自身のこと。
精神的なこと、経済的なこと、全てをひっくるめて考えた結果
「彼氏とは別れないけど子どもは堕ろす」
という答えに辿り着いた。
本当に自分勝手な考えだけど、私はまだ19で彼氏もまだ20で
私が音楽を続けたいという理由ももちろんあるけれど、今人生を決めたくないと思った。
精神的に不安定であること
経済的には育てられなくはないけれど、気持ちの面で育てられるという自信がないこと
そしてお互い虐待を受けて育った人間なので自分の子どもにそうしてしまう可能性を否めないこと
理由は後付けにしかならないけれど、今の私で子どもが生まれても私のように育ててしまう可能性を潰せない精神状態なら、産んではいけないと思った。
「生まれてこなければよかった」と思って生きることの辛さを、「産まなければよかった」と言われる辛さを知っているから。

中絶手術の手続きをしに病院に行ったのが25日。
ネットで手術についていろいろ調べて行った。
18歳以上なら保護者の同意が要らないとこもあることや、手術費の相場もだいたい把握していた。
でもそこの病院は未成年なら保護者の同意が必要で、手術費も予想以上に高かった。
手術費は何とか捻出できそうではあるけれど、保護者の同意が得られない。
この3日間くらい、ずっと説得を頑張ってきた。
私も彼氏も、命の尊さや重みという“倫理観”が抜けている。というかないに等しい。
だから、そういう倫理や体のダメージ以外の部分で「堕ろしてはいけない理由」を親に求め続けた。
堕ろす理由はいくらでも思い付くけれど産む理由が全く分からない。
親と話をしても、期待していた答えは得られない。
そういう状態が続いていた。

日付変わって30日今日、病院側から指定された手術日。
30日が無理なら2日でも大丈夫だとは言われていた。
けれど、親の同意が得られない。
そして時期的にギリギリ。
今もう既に11週目で、病院の手術日が月・水のみで、12週目に入ってしまったら手術方法が変わり手術費も40万まで跳ね上がり、体へのダメージも酷い。
手術してもいいという許可が得られたとしても、2日を逃したら状況的にかなり厳しくなる。
私の状況、そういう現実を知っていながらも、親は「産め」という意見を曲げない。
あれだけ「不安定が続くなら堕ろせ」と言っていたのに、いざ堕ろすと言えば反対してこっちの話を聞こうとすらしない。
挙げ句には「産むのがあなたの幸せになると思うから」と言い出す。
幸せなんて基準は人それぞれ違うものなのに、それを押しつけられる。
堕ろしたら絶縁、とまで言われた。感情的な物言いをしない父が言うのだからそれは本音だろう。
私の人生より、お腹の中の子どもが大切らしい。
「育てられないなら産むだけ産んで実家で引き取るから」とまで言ってた。

もう、疲れた。
このまま時間が過ぎてくなら、私は産まなきゃいけない。
どれだけ私の気持ちを話しても伝わらないんだと。
結局、親の意思で私の人生は決まってしまうのだと。
考えることに疲れた。
親が絶対に折れないのが分かってしまったから。
「時間をくれ」って言われてるけど、そんな時間もないんだって。
時間あげたって堕ろせなくするだけでしょ、って感じ。

私に倫理観がないのが悪いと言われたらそうなのだけど
この状況を詳しく知っている友達は皆「堕ろしてやり直した方がいい」と言ってくれる。
本人が嫌がってるのに周りが産ませたがってるなんて、ほんと変な話。
でもこれが現実。

今なら死んでも後悔しないよなぁ…
とかドライに考えてしまう自分がいる。
死んだらごめんね、って感じ。

疲れた。



・決断
    2008年7月2日の日記

先日の日記にコメントを下さった皆さま、ありがとうございます。
正直、あそこまで反応があるとは思っていませんでした。
個人的に相談に乗ってくれた方、ありがとうございます。
いろいろ考えた結果、産むことにしました。
理由は割愛させて頂きます。

---+

明日、地元に帰ります。
「産む」という決断をした以上、精神的に安定しなければいけないと思ったからです。
3日連続でのOD(大量服薬)、縫わなければいけない程の酷いリストカット
今までの経験からも、明らかに今の私は危険で
死に切れない自分に腹が立って仕方ないと思ってしまうこと
やはりそれは子どもにとっても周りの人達にとってもよくないことであるのは明確で。
疲れた、なんて言ってられないんだと思いました。
いい加減覚悟を決めなければいけないんだと。

正直、地元は嫌いです。
トラウマのほとんどが地元での出来事である故に、フラッシュバックを起こしてしまうのが怖いんです。
でも、今回は帰省ではなく入院の為だけに地元に帰ります。
入院先の病院は勿論精神科ですが開放病棟で、楽器の持ち込みが許可されていることや時間制限はあるけれど携帯が使えるという利点があります。
この3ヶ月弱、一人でいることがないに等しい状態でした。
(同棲してるので当たり前ですが)
彼氏とも距離を置いて、いろんなことを考えるいい機会になれば、と思います。

入院期間は2週間程度と言われています。
ここにアクセスできるのも少ないと思われますが
私は私なりに精一杯生きていこうと思うので、応援して頂けると嬉しいです。


私に関わってくれている全ての皆さま、本当にありがとうございます。


【以上日記】



…うん、何ていうか
苦悩に満ち溢れた日記だな、って思った。

私はこの時、
【産む】という選択をした。

それが正しかったのかは、
今でも分からない。

これだけ悩みに悩んで産んだけれど
娘は生後4ヶ月から3歳3ヶ月になるまで乳児院で過ごし
その後も私からの虐待疑いで
児童相談所に二度も一時保護されている。

そして娘は、
今私の側にいない。

この日記(30日)のコメントで書かれていた
『もし産んだとしても君は自殺するかその子を殺してしまいそうだね』
という言葉。

まさにその通り(に近い)状況だ。

私は、この10年、どう過ごした?

変わったところ、
変わってないところ、
それぞれあるけど、
根本的な【私】は変わってないような気がした。

それでも
娘は元気で楽しく生きてくれている。 

やっぱり私は母親失格なんだろうし
タラレバを考えたらキリがないけれど

娘と過ごしたこの10年
娘のことを「産まなきゃよかった」って思う時もあったけど
娘と出会えてよかったと、
心からそう思う。

だから、
【産む】という選択をした19歳の自分を
誉めてあげたいし
「よく頑張った!」
と称えてあげたい。

今は離れて暮らしていて
何の力にもなれないけど
死んでしまいたいと思う程つらいけど
娘と出会えて、本当によかった。

だから私は、生きていこう。

19歳の私は
こうなることを予想してなかっただろうけど
これはこれで
なるべくしてなったのだろう。

血の繋がりのない娘を育ててくれてる2番目の元夫。
そしてその元義両親。

感謝してもしきれない。

私は娘に何ができるんだろう。

毎週欠かさず書いている手紙。
娘は読んでくれているかな。

「離れていても、心はずっとそばにいるよ」

そんな気持ちが、
いつか届きますように。





書きながら、涙が溢れてきました。

今日のカウンセリングでも、
心理士さんにこの日記を読んでもらいました。

『まにゃさん、とても頑張って、一生懸命だったんですね。
    19歳でここまで考えられるのはすごいと思います。』

と言ってもらえて
私の苦悩は無駄じゃなかったんだと
そんな風に思えました。

カウンセリングでは他にもいろいろ話したけれど
今回は割愛させていただきます。







10年前の私と今の私。

比べる必要なんかないのだろう。

私は、いつだって
しっかり自分自身と向き合って
一生懸命生きていきたい。

このブログは、
その記録となってほしい。

だから私は、
書き続けます。

時に重くて
時に苦しくて
読んでくれてる皆さまにも不快な思いをさせてしまうかもしれませんが

私の足跡として
書き続けようと思います。

いつも読んで下さっているフォロワーの皆さま
ふらっと立ち寄ってくださったあなた
本当にありがとうございます。

かなり長文になってしまいましたが
最後まで読んでくださり
本当にありがとうございました。





まにゃ