私だけど私じゃない~解離 in 保護室~ | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

保護室生活、10日目。

今朝は隣の保護室の患者さんのオムツ交換?の音が騒がしくて
5時半に起こされた。

着替えて検温して
お風呂の予約取って
(朝6時からホワイトボードに入りたい時間を書き込む感じです)  
相変わらず朝の動悸があったので
テノーミン(動悸の薬)と一緒に、
リスパダールもらった。
私の記憶が確かなら、5:55頃。

朝ごはん食べて
9時半の煙草の時までは平気だった。

【しんどい・死にたいちゃん】は
今日も元気だったから
10時になったらリスパダールもらいに行こうと思ってた。
(リスパダールは4時間あけないと飲めません)

で、
10時前にナースステーションに行って
リスパダールもらおうとした。

そしたら、

『朝飲んだの6:55って書いてあるからまだあげられないよ』

と言われた。

だから私は

「いや、6時頃でした。
    私今日5時半に起こされて、そのまま着替えて検温して、お風呂の予約取って、テノーミンと一緒にリスパダールもらったんで6時頃なはずです。
    夜勤者に確認してください。」

と言った。

病室で、イライラしていた。
そこまではハッキリと覚えてる。

だけどその後の私は
【私の中の誰か】に乗っ取られた。

【私】の意識はあるけれど
体は【私の中の誰か】に操られていた。

ひたすら壁を殴っていた。

音に気付いてか
何人か(不明)の看護師さんが止めに入った。

止められても
【私の中の誰か】は抵抗を続け
看護師さんを殴ったり蹴飛ばしたりしていた。

話しかけられても

【黙れ!】

と叫び

【お前らのせいだろうがよ!
    時間勘違いしやがってよ!】

と抵抗を続けた。

どれくらい暴れていたのかは、分からない。

私はただ遠くから眺めているような感じだった。

【もう暴れねえから離せ!】

と叫び
全身を抑えられていた状態から解放された。

それからどれくらいの時間が経ったのだろう。

私が【私】に戻るまで、
どれくらいの時間がかかったのだろう。

師長さんに

『先生がリスパダール飲むかレボトミンの注射してもいいって言ってるけど、どうする?』

と聞かれて

「ちょっと待ってください。」

と答えるので精一杯だった。

そこから徐々に私は【私】に戻れた。

戻ってきた時
涙が自然と溢れてきた。

声を上げて
しゃくりあげながら泣いた。

「どうしてこうなっちゃうんだろう…」

って言葉しか出てこなかった。

師長さんと看護師さんに挟まれて
背中をさすってもらいながら
涙が止まるまで
ただ泣き続けた。

そして
レボトミンの筋肉注射をしてもらった。

それが10時半くらい。

今回の解離も
意識はあった。

でも本当に
【乗っ取られてる】って表現がぴったりくるような
そんな感じだった。

意識はあっても
私は【私の中の誰か】を操れない。

私が【私】に戻れるタイミングも、
よく分からない。

解離性障害の症状がここまで酷く出ているのは
高校3年生の時以来ぶりかもしれない。

当時は
完全に【別人格】があったようだけど。

何となく、
【私の中の誰か】 は男性なんじゃないか、と
そんな気がしている。

これだけ狂暴で
激しく暴れて

私の体を乗っ取って
何がしたいのかは分からないけれど。

レボトミンの筋肉注射して一時間。
少し落ち着いてきたような気がする。

そしてやっぱり
夜勤者に確認したら
リスパダールを飲んだ時間は5:55だったそうで
看護師さんに謝られた。

『まにゃさん、本当にごめんなさい。
    しんどい時に薬飲めなくて、解離起こしてしんどい痛い思いさせて。
    こちらのミスでした、本当にごめんなさい。』

と。

謝られても
私がやらかしたことには変わりがないし
また少し、
退院が遠のいたのだろう。

解離以外に心を守る方法を見つけないと。

解離が癖になってしまっている。

このままじゃ一生退院できない。

私は、良くなりたい。

今の私に、
何ができるんだろう。

とりあえず
今日はもう疲れた。

ゆっくりのんびり過ごそうと思う。

お風呂も入れなくたっていいや。

疲れたな…ほんと…





午後は少しでも穏やかに過ごせるといいな。