消したい過去の自分。 | ASDとともに

ASDとともに

ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

保護室生活、40日目。

私は、
コチラの記事にも書いてますが
2008年12月末に娘を出産した後、
2009年3月から
2010年1月頃まで、
水商売をしていました。

水商売とは言っても
ただのキャバクラではなく
セクキャバ(セクシーキャバクラ)で
お触り、キスありのお店です。

紫斑病と闘いながら、
時には入院もして、
それでも2010年1月に生活保護を受け始めるまでは
水商売で生計を立てていました。

当時は何とも思っていなかったのですが
今私は、
この過去を消したくてしょうがありません。

職業に貴賤なし、
とは言いますが

直前まで授乳していた
赤ちゃん(娘)のための神聖な乳房
それを武器に収入を得る。

その行為が
とても汚らわしいことに思えてしまって。

どこの誰かかも分からない男性に
おっぱい触らせて
キスして

私は元夫(最初の夫)のことを、
愛していませんでした。

モラハラで
『自由になるお金が欲しければ俺以上に稼いでこい』
と言われ続けたため
水商売を選ぶしかなかったのです。
(元夫は専門職のため高卒21歳で年収400万円程ありました)

娘のことも
堕胎したくてしょうがなくて
でも未成年だから保護者の許可なしに手術できなくて
仕方なく産んだといった感じでした。

産まれてからは
可愛かったけれど
普通の母親に備われているべき母性が欠けていたのだろうと思います。

だからこそ
何の抵抗もなく仕事ができたのだろうけど
今思えば
そんな自分がとても汚いような気がして。

今現在
水商売で生計を立てている方を否定するつもりは全くありません。
もし気を悪くしてしまったらごめんなさい。

ただ
私はその頃の自分を差別してしまっています。

当時
私の売り込み用にお店が撮ってくれた写真。



10年前のものなので画質悪いですが
水商売情報誌に顔出しで
【期待の新人!  アイドル候補】
とか書かれてました。

当時私は月収40万円くらいでした。

今の私を知る人にこの写真を見せると
びっくりされます。

私は
元夫を愛していなかったし
娘への母性も欠けていたのかもしれないけど
いつかこの胸のもやもやが晴れる日が来るのかな。

「水商売するしか生き抜く術がなかったんだよ」

そんな風に思える日が来るんだろうか。

普通のキャバクラだったら
ここまで思わなかったんだろうな。

思い出すだけで
つらい、苦しい過去。

消したい、でも消えてくれない過去。

この苦しさを
乗り越えられるだろうか。

頑張れ私。
とりあえず考えないようにして。

過去でもなく未来でもなく今を、
今を生きよう。

でも
あの頃の私がいるから
今の私がいる。

だから、頑張らなきゃ。

今の私が、
未来の私に繋がるのだから。

頑張ろうね、私。







今日は一日通して何だかしんどい一日でした。

午前中はレジンアクセサリー作りしたけど
それも何だかしんどかったし

午後は寝倒して
それでもやっぱりしんどくて
頓服のリスパダール飲んで

今もしんどいままです。

明日はカウンセリングがあります。

最近やっと、
2日に一度お風呂に入ることができるようになってきました。

今日は入らなかったから
明日入れればいいな。

明日はどんな一日になるかな。

明日は穏やかに過ごせますように。