そんな母親は、
存在しないと思っていました。
施設に入所している子どもたちは
やむを得ない事情があって
家庭に帰れないのだと、
そう思っていました。
私にはもうすぐ10歳になる娘(小4)と
4月に3歳になった息子がいます。
私は娘を出産してから今まで、
三回児童養護施設のお世話になりました。
一回目は、
娘が生後4ヶ月から3歳3ヶ月の間。
私がIga紫斑病(アレルギー性紫斑病)になり入退院を繰り返すようになり
当初は義母に面倒を見てもらっていましたが
治療が長引き、
これ以上面倒見切れないということで
まずはショートステイ、
そして私と最初の元夫間で離婚調停・裁判と進むことになり
親権者が決まらないのにどちらか片方と住むのはおかしい、ということで
施設入所という形になりました。
一年半程で離婚裁判は和解で決着がついたのですが
私の住む自治体は待機児童が多く
3歳未満児は空きがない状態だったので
年少に上がる時にやっと娘を引き取れました。
二回目は、
娘が年長(5歳)の時。
当時息子を妊娠中だった私は、
とても情緒不安定になっていました。
妊娠中期に入り、
精神科の薬も飲んでいました。
不安定だった私は、
些細なことで娘に手を上げてしまいました。
娘がなかなか寝ない、とか
そんな些細なことだったと思います。
そして手を上げてしまった罪悪感から
私は大量服薬をしてしまいました。
当時元夫(2番目の夫)は24時間勤務の仕事をしていて
元夫は不在でした。
翌朝帰ってきた元夫は
大量服薬した私を病院に連れていくこともなく
ただ放置されました。
そしてそのまた翌日、
元夫は自分で娘を保育園に送り、仕事に行きました。
私は意識は取り戻していましたが
お腹の子(息子)が大丈夫なのかという心配もあり
保育園から帰ってきた娘とどう接していいのか分からなくて
誰かに助けてほしくて、
児童相談所に相談の電話をかけました。
当時、元夫と娘は養子縁組していませんでした。
親権者は私だけでした。
児童相談所に電話した結果、
何回か電話のやり取りをした後、
「娘さんを一時保護します」
と言われ
児童相談所の職員の方が自宅に来ました。
そして娘は連れていかれました。
私は泣き崩れました。
娘と離れたかったわけじゃない。
ただ、精神病を患う私がどんな風に子育てしていけばいいのか教えてほしかっただけなのに。
私は放心状態になり
どこかに逃げたくて
無我夢中で車を走らせました。
意識していたつもりはありませんが
実家のある方面へ運転していました。
(実家と当時住んでいた所は約1000キロ離れています)
2時間ほど高速を走って
私は下腹部痛に襲われました。
サービスエリアに寄りました。
私はこの時の妊娠は低置胎盤だったので
大学病院の産科へ通っていました。
電話をして、状況を説明すると
「今すぐ救急車を呼んで下さい」
と言われました。
そしてそのまま近隣の総合病院の産科へ入院となりました。
切迫早産でした。
一週間程で状態が落ち着き、
妹が迎えに来てくれ自宅へ戻りました。
元夫は、
私が娘を捨てたくて児童相談所に電話したのだと誤解していました。
誤解が解けるまで
とても時間がかかりました。
そして私は大学病院の精神科へ入院することとなったのですが
切迫早産の症状が酷くなり
産科へ転科し、MFICUに入院しました。
2014年の年末の話です。
元夫と話をするうちに
何とか誤解も解けて
娘を引き取るために何ができるか、考えました。
まずは私が退院すること。
そして、義両親にできる限りのサポート(娘の保育園の送り迎え等)をしてもらうこと。
保育園の延長保育を目一杯使うこと。
それが児童相談所から出された条件でした。
2015年の1月末、
私は何とか自宅安静で済むようになり
産科を退院することができました。
そして2月半ば、
娘が一時保護されてちょうど2ヶ月で、
娘は帰ってきました。
涙が止まりませんでした。
元夫の方が号泣してました。
やっと、家族3人で暮らすことができました。
三回目は、
私が解離を起こし、
息子の首を絞めかけたかもしれない状況で私は意識を取り戻したのですが
気が動転してしまった私は市の家庭相談員の方に相談し
結果警察と児童相談所を巻き込んで
子どもたちはまた一時保護されることとなりました。
今年の1月25日のことです。
詳しくは
コチラの記事に書いています。
元夫は、
子どもたちが一日も早く自宅に戻って来れるように、
離婚を選びました。
私は頷くことしかできませんでした。
この時は、
10日程で子どもたちは自宅へ戻ってきました。
ちょうど婦人科の診察で一時的に子どもたちがいる県に戻っていた私は、会わせてもらえました。
2月5日のことです。
それからは、子どもたちに会えていません。
毎週末、娘には手紙を書いています。
少ないですが、養育費も払っています。
それと引き換えに、ビデオ通話させてもらっています。
子どもたちに会いたいです。
でも、会えません。
距離がありすぎるし、お金もありません。
いつか私が元気になって働けるようになったら、
会いに行きたいと思っています。
今日、
同じ病棟に入院中で喫煙所仲間のAさんに、
離婚のことを聞かれました。
『旦那が嫌いで離婚したわけじゃないんでしょ?
なんで離婚したの?』
「いろいろあって。
警察と児童相談所巻き込んでの離婚だったんで、親権も元夫になったんです。
私の虐待を疑われて、というか、そんな感じで。
解離って分かります?
記憶をなくすことがあるんです。それで。」
『そうなんだ。
うちも娘に手を上げた時に娘が警察に駆け込んでさ。
施設に入る!って言い出したから入ればいいよ、って言ったんだ。
結局入らないって娘は決めたんだけど、正直施設に入ってくれれば楽なのに。
私の言うこと聞かないし、じじばばには甘やかされてるし、施設に入った方がいいと思うんだよね。』
Aさんの娘さんは中3?って言ってた気がします。
私はこのAさんの言葉を聞いて、
とてもショックを受けました。
子どもを施設に入れたい母親がいるなんて。
Aさんは娘さんともう何ヵ月も会ってないそうです。
Aさんは入院して4ヶ月程、
Aさんが自宅に帰る時に娘さんは祖父母の家に行くんだとか。
反抗期を迎えた子どもを持つ母親の苦悩を、
私は知りません。
でも私は、
『施設に入ってくれればいいのに』
というAさんの言葉には、
とてもじゃないけど共感は出来ません。
そして、
そんなAさんは娘さんと繋がっていられるのに、
どうして私は子どもたちに会えないのかと、
悔しさのような感情を抱きました。
Aさんは、子育てを放棄しているのだと思えました。
私は、病気のために子育てを放棄させられました。
なんで?
どうして?
なんでAさんは母親でいられて、私はダメなの?
そう考えてしまってから、
今までのいろんなこと(上記のこと)が一気にフラッシュバックしてきて。
この記事も、
泣きながら書いてます。
心理士さんのカウンセリングがあったので、
このことを話しました。
『世の中にはいろんな人がいますから。
まにゃさんが思い描く母親像は、間違ってないと思います。
Aさんが間違ってるとも言えないんですが、まにゃさんがAさんに抱く感情は共感できます。
とてもショックというか、衝撃的ですよね。
フラッシュバックして、つらかったですね。』
心理士さんは誰を批判することもなく、
ただ話を聞いてくれて、
思わず涙が出そうになりました。
私にはAさんの感情は理解できません。
だから、
この感情の落とし所が分かりません。
納得もできないし
しばらく引きずるんだろうな、
と思います。
私は、
子どもたちに会いたいです。
またいつか、
一緒に暮らしたいです。
そのために、
元気になりたいです。
子どもたちが一時保護から自宅に帰ってくる方法は
離婚するしかなかったのだろうか。
その疑問はいつまでも消えないけれど。
子どもたちが元気で大きくなってくれることを
遠くから見守っていこうと思います。
元夫、頼むよ。
私の一生のお願いだよ。
子どもたちを幸せにしてね。
長くなってしまいました。
ここまで読んでくれて、
本当にありがとうございました。