病識を持つということ | ASDとともに

ASDとともに

ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

午後からは、
ただひたすら小説を読んで過ごしました。

今読んでいるのは、
大崎善生さんの「エンプティスター」

半日で、
半分読み終えました。

小説は、読むの好きです。
ただ、音楽聴きながらとか、
何かしながらは読めません。
集中できる環境がないと、読めないのです。

明日には読み終えるかな。





母が面会に来ました。

毎日来てくれます。

洗濯物をお願いし、
新しいタオルや服を受け取り、
特に何をするでもなく、
ほんとに「顔を見にきた」という感じ。
それでも、
毎日来てくれるのは、有難いです。





ふと、思いました。

私は、
今の主治医には、
双極性感情障害(2型)と言われているけれど、
この病名を付けられたのは久しぶりなんです。

双極性障害自体は、
学生時代(17〜19歳の頃)に言われていました。
デパケンを主に服薬していました。

でも、それからというもの、
解離性障害の方が目立ってしまったせいか、
双極性障害とは言われていませんでした。

自閉症スペクトラムと言われたのが、私が23歳の頃。
その頃は、
障害者手帳も解離性障害で持っていたし、
あとはパーソナリティ障害とも言われていました。

昨年夏に措置入院した頃は、
幻聴や幻覚の症状が強かったためか、
統合失調感情障害と診断され、
手帳も統合失調感情障害で等級変更を申請し、
2級の障害者手帳を持っています。

措置入院した病院から紹介された病院では
パーソナリティ障害がメインだと診断されていました。
なので、
訪問看護を反対されていました。
「パーソナリティ障害って病名では訪問看護は申請しにくいなぁ」
という当時の主治医の意見で。

1月末に実家に帰ってきて、
早2ヶ月。
今の主治医の見立てでは、
私は双極性感情障害(2型)なのですが、
正直、病識があまりないのです。

でも、
納得がいってない訳ではありません。

17〜19歳の頃、
双極性障害と診断された頃を思い返してみると、
確かに私は軽躁状態と鬱状態を繰り返していたし、
それは今でもそうだ、
とも思うのです。

双極性感情障害、
未だにピンときていません。

これまでは、
舵を取れない船に乗っているかのような半生でした。

でも、病識を持つことで、
措置入院をするようなことは防げるんじゃないかと、
そう思ったりもします。

エビリファイ(アリピプラゾール)は
措置入院した時からの処方です。

現在は、
1日最大量の、30ミリを飲んでます。

朝昼食後に、3ミリずつ。
就寝前に、24ミリ。

それと、
夕食後にジプレキサ(オランザピン)10ミリ。

就寝前には、
ブロチゾラム(レンドルミン)と
ロラゼパム(ワイパックス)2錠を。

双極性感情障害と診断されて、
自分の病気への向き合い方も変わってきました。
軽躁状態と鬱状態があることを理解していれば、
自分の感情も少しはコントロールできるようになるんじゃないか、
そんな気がしています。

もうちょっと、
双極性感情障害について、
調べてみたいと思います。

自分の病気とうまく付き合うために。
多分、
必要なことだと思います。





今日は、
特にこれといって何もしなかったけれど、
穏やかに過ごせました。

「病識を持つ」
皆さんのブログにもお邪魔しながら、
自分のこと、
もっと知ってあげようと思います。