ASDと診断されるまで〜小学校高学年から中学生まで〜 | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

前回、小学校5年生の頃までのことを書いたので。

今回はその続きから書こうと思います。
 
 
 
いじめは解消されないままでしたが、1学年上の主犯格が中学校に上がってからは、それなりの日々を送っていました。
とはいえ、同級生はかつて私をいじめていた人達。
とても居心地のいい学校生活とは言えませんでした。
 
中学校に上がる時、1学年上のかつての主犯格は引っ越していきました。
中学校も全校生徒で30人程と小さい学校でしたが、他の小学校から来た子たちとある程度仲良くなれたり、中学校1年生の頃はそれなりに楽しく過ごせていました。
相変わらず集団行動は苦手でしたが、秋からは生徒会役員になったりと、まぁまぁ充実した生活を送れていました。
 
生活がまた大きく変わったのは、中学2年の春の生徒総会でのことでした。
生徒会役員だった私は、教師である両親の影響を受け、何故学校の授業はこんなにも楽しくないのかと悩むようになりました。
両親は教師のためのサークルに入っていて、両親やその仲間の先生の授業はとても面白かったからです。
ちなみに私は、学校の成績だけはよかったです。
そこで、生徒総会で先生達に
「もっと楽しい授業を、わかりやすい授業をして下さい。そうしたらもっと学校が楽しくなるはずです」
と訴えることにしました。
私だけの意見では説得力もないので全校生徒に頭を下げて、
こういう訴えをするから、同意する人は起立して下さいと言ったら立ってくれないか
とお願いして回りました。
ほぼ全校生徒が同意してくれました。
 
そして生徒総会当日、緊張しながらも私は先生達への訴えを伝えることができました。
だけど、
同意する人は起立して下さい、そう言った時、立ってくれたのは数人でした。
 
「裏切られた」
 
その気持ちに私の心は支配されました。
泣きそうになるのを必死にこらえて、主張をやめました。
 
その後担任の先生には
「小学校と中学校は違うのよ」
と意味のわからない慰めを受けて、一人家に帰りました。
 
高校1年生になっていた姉が、動いてくれました。
事の真相はどうなっているのかと、3年生に聞いて回ってくれました。
 
事の真相は、
同じ生徒会役員だった3年生が私の主張に反対し、私には「賛成する」と伝えておいて起立するのをやめよう、と全校生徒に言って回っていたのでした。
 
事の真相がどうであれ、裏切られたのは事実。
私は、それまで仲良くやれていた同級生ともうまく笑えなくなり、殻に閉じこもるようになりました。
学校も遅刻しがちになり、それでも成績だけはよかったので咎められることはありませんでした。
 
中学2年の秋から、また「死にたい」と思うようになりました。
リストカットを始めたのもこの頃です。
親に相談はしませんでした。
ただリストカットを繰り返す私を、腫れ物に触れるように扱う両親。
何もかも嫌になっていました。
 
中学3年生になる時に、引っ越しをしました。
集落全員顔見知りの、学校を拡大化させたような世界からは抜け出し、1学年7クラスあるマンモス中学校に転校しました。
これを機に新しい自分になろうと、無理をしました。
今で言う陽キャのグループに所属し、友達と遊びに行ったり、付き合いもそれなりにやれていた…のも1学期だけでした。
リストカットはその頃も続いていました。
 
夏休みが終わるにつれて、死にたい気持ちはどんどん強くなっていきました。
「学校に行きたくない」「死にたい」
夜も眠れなくなっていました。
 
「精神科に連れていってほしい」
両親にそうお願いしました。
「病は気からだ。気にするな」
そう言われておしまいでした。
 
3年生の2学期から、不登校気味になりました。
テストだけは受け、成績は上位を保っていました。
高校は、誰も進学しない学区外の進学校へ行くことにしました。
 
 
 
今回はここまで。
次は、高校生の頃のことを書こうと思います。