性的マイノリティのひとつである、トランスジェンダーという概念の中で生きる人々も
身体に障害を抱えて生きる人々も
病気で機能を失う人々も
左利きの人も
肌の色の違いによるモノも
信じる宗教観による違いも
逆に無宗教である者も
男の子を育てる母親も
女の子を育てる母親も
障害を抱える子を持つ親も
みんな小さな世界観に閉じ込められている者の集まりが、ひとつの共同体を形成しているモノと考えている。
しかし、人々は、そんな小さな世界観に閉じ込められている事をひた隠しにしたがる。
私は普通の人(マジョリティ)よと言う風に。
しかし、話をして行くうちに一つのマイノリティを抱えている事が判明する。
そう。私たちは、小さなマイノリティの集合体の中で生きているんだと思う。だから、手を携えて支え合って生きて行く事は出来ると考える。
時折、私は女性のライフスタイルを話す事がある。
子どもの頃に初潮を迎え。
時にシーツを汚す事もあったろう。
親に、『チッ!自分で洗っておけな』と吐き捨てられたお子さんもいたかもしれない。
女も一端になり、中学生、高校生となると、今度は親から門限を言い渡される。
18時までに帰ってこいと。。。
送れると、玄関前で仁王立ちする親・・・
なんで?もう私は大人よ?と、親に対して腹を立てた思春期。
夜の暗がりの帰り道で、痴漢に遭ったり、変質者に遭遇する経験をして初めて女である事の恐怖を感じる。
親の心子知らず・・・ですよね。大人になって初めてわかる親の気持ち。そして彼女たちもまた、選んでその体を持って生まれてきたわけではないという現実。ただその身体で生まれた事によって反対に属する男性から付け狙われる恐怖を経験する事になる。
お年頃になると、彼氏は居ないのかとけしかけられ
社会人になってしばらくすると、今度は孫の顔を見せろと実の親から迫られる。
苦い恋愛経験も得、めでたく結婚。妊娠出産を経て家族を持つ喜びもつかの間。自分の事を横において、子どもの世話に旦那の世話。仕事をしながら家事をし子育てにと、あわただしい時間の経過の中で彼女たちは懸命に生きている。
そして、子どもが一定程度親から離れると、今度は親の世話を。親の世話も一段落ついた時、自分は既に末期がん・・・
女のライフスタイルにこうした事が実際に起きている。
女の人生とは、一体なんなんだと。子を産み、世話をする事で一生が終わってしまうとしたら、不遇以外の何物でもない様な気がしなくもない。
私は考えた。
女性は、言いたい事を言って良いと思う。
女性は、我慢する事をやめるべきと思う。
女性は、好きな事に時間を費やす事が良いと思う。
そして、被ばくしない様なカタチで、婦人科系疾患の検診を怠らないで欲しいと切に願う。
身体を大事にして欲しいと切に願う。
女性は、子を産み、育て、子の成長を見届け、やがて孫の顔を見て、自分の人生、まぁまぁだったなと自分の子どもや孫たちに看取られる事が、私は人として女として恐らくごくごく普通の人生なんじゃないかなと。
そうした人生を送れる様、身体をいたわって欲しい。心をいたわって欲しい。自分をいたわって欲しい。
女性同士がいがみ合う様な所は見たくない。
その原因としてトランスジェンダーの存在がある事も時にはある。
そんな時は、遠慮なくトランスジェンダーに対してモノ申して欲しい。
女性同士がいがみ合うのを見るくらいなら、私は一歩下がりますよ。一歩ねw
だから、心穏やかにして欲しい。そう願うオカマちゃんでした。