その1で読んだ本で、
都築先生はコンパルソリーが苦手だった為、世界選手権(1977年)に向けて佐野稔さんのその指導を佐藤信夫先生に依頼した
結果は、見事、銅メダル!とあったのを思い出した。
それらのエピソードを読んだ時、日本フィギュア界の草創期を懸命に支えてきた人々の話は興味深いと思ったけど
この本も、また、興味深い内容が満載で、丁寧な描写の文章に引き込まれながら読んだ。
何よりも、とても読みやすかった。
本は小学5年でスケートと出会った信夫少年の話から始まる
最後は、真央ちゃんのソチのフリー
真央ちゃんの記述は、10数ページしかなかったし、
もちろん、羽生さん成分は皆無だけど、とても読み応えのある本だった
秘蔵エピソードが満載、(←私が知らなかっただけかもしれないが)
それら、ひとつひとつのエピソードが簡潔で完結、気付いたら終わりまで一気に読んでしまったよ。
ブレードのエッジ研ぎの習慣の違いは、印象に残った話
それまで日本は、砥石で研いでいたけど、後に機械で研ぐようになったのは、おそらく信夫先生のおかげなんですよね。
でも、自分のおかげとかそんなふうには全く書いてない。
さらに、
当時、仲の良かったボダイスキー選手(←信夫氏が練習後、砥石でエッジを研ぐのを見ていてひらめいたそうだ)が、
機械と手作業を組み合わせた商売を始めて、大成功した話で締めくくっている。
これは、もっと、自慢してもいいエピソードだと思った。
このエピソードもそうだけど、終始、謙虚な文章から信夫先生のお人柄が伝わってくる。
また、
1965年の世界選手権、3回転サルコーを日本人として初めて決めた試合だったけど、
フリーが3位で総合4位、これは、当時の日本人最高位
ディック・バトン氏は、スケートの雑誌に「サトウがメダルを取るべきだった」と書いたそうだ。
その言葉に、
きっと素晴らしい演技だったんだろうな・・・と、その演技の部分の記述を読み返しながら当時に想いを馳せた。
ディックバトン氏と言ったら、66年前にオリンピック2連覇をされた方ですよね
古い話だけど、我々の記憶には新しいお方
とにかく
信夫先生が選手時代、あるいはコーチとして経験してこられた貴重なエピソードの詰まった本だった
読んでよかった。
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