こんにちは。私の人生の話第2話をしようと思う。前回自分はいじめられてきたという話をした。でも思い返したら私は被害者であると同時に加害者でもあった。私にも嫌いな人はいたし、時に嫌がらせに加担することもあった。そう考えると自分だけが何かをされてきたと考えるのはおかいしなとおもう。そして、自分が加害者側の人間であるということが昔は嫌だったがまあだからこそ色々な人とも関わってきたんだなと思う。

ただし、今でも「人の気持ちを考える癖をつけよう」と言われると、「私が接してきた人たち私の気持ちを考えてこなかったと思うけど私も考えないとだめ?」と言う気持ちになる。でも私がここで人の気持ちを考えずに行動したらそれこそ、私に危害を加えてきた人たちと同じになってしまうのかもなあと少し感じた。


追記:

いまも繋がってる友達が片手じゃ数えられるか数えられないかの人数。SNSでの繋がりも数えるならそれなりにいる。同窓会に行こうと思えばいけるし職場があって気にかけてもらえる。家族とも繋がれている。もう28になる。いい加減前を向いて今あるものを大切にかつ新しい出会いのために進もうと思う。


 こんにちはたまには私の話をしようと思う。私は両親共に学歴や他人からの評価を気にする家庭に生まれた。よく、「他人の気持ちを考えましょう」と言われるけれど私の家にいる限りその必要はなかった。というのも親は常に私に怒りをむけていたと思う。常に怒っていた。常に泣いていた。常に叫んでいた。「ちゃんとしなさい」「変に目立たないで」「変なことをしないで」「周りとうまくやって」「人の気持ちがわかるような人に育ちなさい」


幼少期の私は

「他人の気持ちを考えなさいと私が他の人に言いたい」と思うようないじめにあってきた。そんな時両親は別に私の気持ちや発言関係なく「怒る」「叫ぶ」「勉強させる」「いじめられて悔しいから私が泣き叫ぶと思い勉強させる」を繰り返してきたため家庭でも他人の気持ちを考える必要はなかった。唯一妹とは喧嘩になると面倒だし、妹のことは大切にしたかったから「他人の気持ちを考えたい」という気持ちはあった。


さて28歳になって

友人に

「他人の気持ちを考える癖をつけて〜」

とすごく軽いノリで言われてまあ悲しかった(どちらかと言うと怒りを感じた)。もちろん自分が他人の気持ちを考えるのがすごく苦手なのはよくわかっている。人の気持ちはわかる「悲しい」「嬉しい」もわかるしこいつ私のことバカにしてるもわかる。というよりどういう事をしたら人が悲しむかも知っている。


とここまで書いて気がついた

矛盾している。「他人の気持ちを考えるのが苦手」と書いた。でも私はここで「他人の気持ちがわかる」とかいた。こわい。考えずにわかるのか?それはわかったふりではないのかな?


結論

考えるとわかるはちょっとどころか

かなり違うのだ。

 こんにちは。コロナになってます。

好きな人だけを見てたらもしかしたら私に興味を持ってた人も失った話をしようと思います。


私基本的に自分が興味持った人で好きな人しかみない主義なんですね。だから好きな人以外どうでもいいやってなってしまう。なってしまった結果…皆に距離をおかれました。あーあ。好きだった人にも距離をおかれるし、それ以外の人にも距離をおかれるし。自分に近づいてくる時点で何らかの感情があるのにそれを蔑ろにしてたんだなあと。


もう何もかも遅い