舟木さんゆかりの江戸巡り
~ 芝 ~
「火消し若衆」
昭和40年1月発売
作詞:阿部幸子
作曲:遠藤 実
♪ 火事とけんかと 一番まとい
そいつはおいらに
まかせておきな まかせておきな
白に黒文字 め組のとび衆
いきでいなせで 男っぷりなら
エー日本一
エンヤラヤレコノ 日本一
♪ 江戸の自慢は とび衆の木やり
火の見やぐらの
上から聞かそ 上から聞かそ
~ ~ ~
~ ~ ~
(芝増上寺一帯は、江戸城のかなり南に位置する)
「火事と喧嘩は江戸の華」・・・だったらしい。
火事の多発する江戸の町を、火災から守った町火消し。
燃え盛る炎の迫り来る屋根の上で、降りかかる火の粉をものともせず、組の威信をかけて一番纏いを
振り続ける纏い持ち。もちろん他の組との先陣争いもあったことだろう。
その組のシンボルである纏いをいち早く屋根に掲げて、火消しに命をかけている組の存在を示すわけ
だから、纏い持ちこそは、その組ナンバーワンが選ばれるのだ。
大抵、高所での仕事はお手のもののイケメンの鳶の若い衆が選ばれて、みんなの憧れの的だったそうな。
威勢のいい憧れの的は選ばれた者、花形スター、アイドルである。
め組の火消し若衆も、もちろん♪ 粋でいなせで 男っぷりなら 日本一 だったはず。
江戸の町火消しの制度は、大岡越前守忠相が考案したということだが、墨田川以西は「いろは48組」
として組織された。
め組の担当地域は、芝増上寺中門前辺り、浜松町などで人足は約240人。
後の「め組の喧嘩」が歌舞伎に仕立てられ、その威勢のよさで ”火消しといえばめ組” ということに
なっていったらしい。
そこで、め組が活躍した芝一帯を、♪ 粋でいなせな 男っぷりなら日本一 の舟木さんのよう
にはいかないが、せめて木遣りくずしのお囃子でも口ずさみながら歩いてみよう。
♪ エンヤラヤレコノ ~ 日本一 ~♪
浄土宗大本山 増上寺
三解脱門(さんげだつもん 重要文化財)
車の行き来は激しいが、道行く人々に
威風堂々とした姿を見せている。
増上寺は徳川家の菩提寺。
さすが立派なお寺である。
大殿(だいでん)
ご本尊の阿弥陀如来が
祀られている。
増上寺近くの芝大神宮
鳶頭と力士とのトラブルである
「め組の喧嘩」は、自然に半鐘
が鳴ったのが発端らしい。
その半鐘は、普段は展示され
ていなかったので見られなか
ったが、例年2月の節分に行
われる 「 め組の半鐘祭り 」
には展示されるということだ。
芝大神宮の境内には、相撲、芝居小屋、見世物
がかかり、庶民の憩いの場として親しまれたとい
うことだ。 (パンフレットより)
階段上にある「め組」 の阿吽
「芝大神宮」の案内、説明文
大門や増上寺を正面に見る大通りの歩道には、浮世絵のこんな粋な案内版がある。
芝「大門」 の案内版
現在の「大門」
この奥が増上寺三解脱門となる
「大門」への信号を渡る手前の広場には・・・
「ペルリ提督」がこちらを・・・
サングラスをかけているわけではない
が、こんなお顔に写ってしまった。
「開国後、日本はどうなったかね。」と厳
しい視線を向けているような気が、、、。
向かいには、ペリーさんの黒船来航から7年後のことを
記念する、こんな碑が建てられていた。
火事の多かった江戸の人々の憧れの的
カッコいいヒーロー 、花形のイケメンアイドル 纏い持ち
め組の火消し若衆、纏い持ちならそれこそナンバーワンだ!
しかし、江戸の子どもたちの一番人気は最大人足数を誇る「よ組」(約720人)だったとか。
「よ組」の担当地域は神田明神下界隈、平次親分とお静さんの住んでいる町内だ。
銭形の親分も火消しも、神田明神下界隈にはお江戸の人気者がいたってこと、何となく嬉しいね。
「に組」の火消し若衆なら野狐三次ということになる。
「め組」の火消し若衆を訪ねたなら、「に組」の火消し若衆だってお訪ねしなきゃなるまい。
それにぺりーさんの視線がちょっと怖いので、もう少し太平の江戸時代にとどまっていたい思いもある。
舟木さんも声を低くして歌われているが(「喧嘩鳶」)、「に組の火消し若衆 野狐三次」を訪ねたなら
一体どうなっていくことか、不安半分だが、ともかくこれから出かけてみることとしよう。