舟木さんゆかりの江戸巡り
~ 湯島 ~
湯島天神 梅まつり 2月8日(水)~3月8日(木)
学問の神様でもあると同時に梅の名所
でもある湯島天神。
深川八幡宮で恋の花を咲かせたら、何を
あれこれ言うまでもなく、湯島の天神様に
お参りしなくちゃいけない。
今年の梅の開花は随分と遅れたので、まだ
三分咲きの時期だったが、切通坂の方から
入ってお参りしてきた。
今年で55回となる梅まつり。
階段左の梅まつりポスターを見ながら、丁度
受験のシーズンでもあって参拝の人々で賑わう
境内に入っていった。
本殿前で参拝の順番を待つ人々
梅は三分咲きだった
風情ある野点も少し寒そう
≪湯島天神の境内にて≫
湯島の天神様といえば”湯島の白梅”
泉鏡花の「婦系図」を抜きには語れない。
お蔦と早瀬主税の恋物語
有名な境内の別れの名場面
「別れろ切れろは芸者の時に言うものよ。
今の私にゃ、いっそ、、、」とお蔦に迫られて
主税は、、
「月は晴れても心は暗黒(やみ)だ」
明治の新聞小説は舞台になり映画になり、
大物俳優たちによって繰り返し演じられた。
湯島境内でのこの場面は、新派で最大の
名場面になっていった。
極め付きのお蔦は初代水谷八重子とか。 泉鏡花 筆塚
名場面は1942(昭和17)年、歌謡曲にもなって
戦時中の人々の気持ちを捉えた。
「湯島の白梅」
作詞: 佐伯 孝夫
作曲: 清水 保雄
♪ 湯島通れば 思い出す お蔦主税の心意気
知るや白梅 玉垣に のこる二人の影法師
~ ~ ~ ~
♪ 青い瓦斯灯 境内を 出れば本郷 切通し~
本郷真砂町に住む先生は、ついにお蔦主税の二人を
認めてはくれなかった。
恩師に背いてまでも結婚はねぇ~当時のことだから~。
その悲劇を新派は舞台に乗せて見せてくれるのだが、
原作の二人はその後波乱万丈の人生をたどるという。
二人それぞれに、相応しい花が咲くことはなかったようなのである。
「新 派」 碑
残念ながら、こちらは「新派」碑の裏側である。
もともと「新派」の碑は、松竹株式会社と水谷八重子
さんが新派九十周年を記念して新橋演舞場玄関脇
に建てられたもの、ということだ。
題字は川口松太郎氏
ますます碑の表を見たいものだが、丁度その場所
にお店が出ていて入り込めない。
題字はまたの日に改めることにして、せめて碑の
由来だけでもと、写してきたのが下の写真。
湯島の天神様と、新橋演舞場を介しての新派との
深いつながり
新橋演舞場、川口松太郎氏、水谷八重子さん
・・・
舟木さんとの繋がりがだんだん近いものになって
くる
・・・
やはり舟木さんは、凄い繋がりを戴いていたのだと思う。
合格祈願の絵馬奉納も、家ではご利益があったりなかったりしたものだが、もう記憶の彼方である。
しかしさすがは湯島の天神様、今年も相変わらず絵馬の奉納は盛況のようであった。
帰りは緩やかな女坂を下ろうか、勾配のきつい男坂を下ってみようか。
女 坂
男 坂
そのうち、天神様正面の入り口鳥居辺りから、お祭りのような賑やかな声が聞こえてきた。
どうやら、天神様からお神輿が出る時間に遭遇したようだ。
何台もの神輿を商店街の人たち
が担ぎ、威勢の良い掛け声ととも
に通りをゆっくりと練り歩いている。
大変な人出・・・やはりお神輿の
出るお祭りにはみんな引き付け
られるようだ。
その昔は、合格祈願の絵馬奉納という身勝手な参拝客でしかなかったが、ゆっくり境内を歩いてみると、
紅白の梅に隠れて泉鏡花の筆塚あり、 「新派」 の碑あり。
学問の神様菅原道真に相応しく、文学や芸術に今もちゃんとコミットしている神社ではないか。
湯島の白梅の名セリフだけを知っている、、 それだけではちょっと申し訳なかったので、泉鏡花に初めて
お目に掛かることにした。
早瀬主税とお蔦さんはこの界隈でどんな会話を交わしたのだろう。
切通坂や女坂を登っていったのだろうか。
もうすぐ原作が届くのだが、なにやら日本文学史をなぞっている気分である。
梅の開花が遅くて心配された今年の”梅まつり”も、その後少しずつ満開に近づいて、無事終了したという
ことだ。