永遠の「高校三年生」 舟木一夫と和泉雅子の「失われた20年」 ② | 満天の星Lovelyのブログ

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60周年をあれほどに輝かせながら61周年へと繋げていかれた舟木さん、本当にお見事でした!
2023年もこれからもずっと、素晴らしい夢時間を頂けますように・・・。

                       永遠の「 高校三年生 」   ②
 
                     舟木一夫と和泉雅子の「失われた20年」
                    
                       久間十義   「新潮45」   3月号
 
 
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舟木一夫と和泉雅子の「 失われた20年 」
とは何か
 
    その1
60年代、舟木・和泉の黄金コンビは”希望”や
”未来への信頼”をスクリーンに展開しながら生きていた。
     
それなら、舟木一夫と和泉雅子は”希望や未来への信頼”を生きたコンビとして、それの”失われつつあ った20年”を、スクリーンの中で二人はどう生きていったか、という問いも可能だろう。
 
     その2
あるいは、スクリーンや芸能界で燦然と輝いていた黄金コンビの光も徐々に失われ、
その”栄光の輝きが失われた20年”を、
舟木一夫と和泉雅子はそれぞれ実人生でどう生                                       きていったか、ということになるのだろうか。
 
                                                                                                                                     イメージ 2
  
     その1については、 
     映画界の変遷、衰退により、特に日活などは残念ながら
     凋落の一途というほかない惨状になっていく。
 
 
     舟木さんは、芸能人として、また「青春歌謡映画」の変質
     により、日活でも他社でも”悲恋”に突き進んでいくしかなく、
     雅子ちゃんは最後まで日活に付き合ったとはいえ、不本意な
     企画を受けざるを得なくなっていく。
      
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                                                1969年2月                                            
       
                                                                         したがって、舟木・和泉のスクリーンの中での           <”希望や未来への信頼”が失われた20年>は
   20年どころか、数年のうちに消滅してしまった。
 
 
   それゆえ、その後の二人はスクリーンの中では
   ”希望や未来への信頼”を生きられなかった。
 
 
         1969年12月
          要するに≪舟木一夫と和泉雅子の「失われた20年」≫については、その2しか成立しない、
          ということである。
           黄金コンビの舟木・和泉としては <燦然と輝く光を失った後の20年> をそれぞれに生きた、
          その20年と いうことになる。
      
 
     舟木一夫・和泉雅子のその後
 
     かんたんに云えば、
     舟木さんはその後、心身を病み、一身上のことで幾度か週刊誌をにぎわす事件を起こしたにも関わら
     ず、結婚したことで落ち着きを取り戻す。しかしその後も波乱万丈は続き、それは15年以上にわたる長
     い不遇時代でもあったのだが、自らをはぐれ者(芸人)として意識し、冬の時代を耐え、生き抜いた。
     30周年で”同世代だけを向いた歌手”として復活し、今年50周年を迎えるのはご承知の通りである。
 
     雅子ちゃんは、10歳からの女優人生の間に積りに積もった抑圧、ストレスに耐え切れず、ついに”人間
     的な心”を取り戻すために動きはじめる。1883年に南極大陸に行ったことから始まった、自己を開放した
     いという、やむにやまれぬ衝動は、ついに89年、北極点に立ったことで”抑圧された自己からの解放”と
     いう本願を成就した。
     美人女優であることが何の意味も持たなかった和泉雅子にとって、再び生きること、生まれ変わること
           が問題だった(P167)。
 
      舟木さんが再び私たちの前に登場し、”奇跡の復活劇”を演じるのは1991年、
     雅子ちゃんが”抑圧された自己からの解放”を勝ち取るのが1989年。
 
     黄金コンビは紆余曲折を経て、それぞれに最もふさわしく、居心地の良い自分を生きられるポジシ 
     ョ ンを自らの手で獲得していった。      
     それは絶頂期の黄金コンビ時代から数えて20年余り・・・・
     この年月こそが二人にとっての、≪失われた20年≫だったのである。
 
     しかし、これは失われたといえる20年なのか?
     表向きは二人とも芸能人として燦然と輝く光を失い、華やかさとは縁遠い、陰に隠れていた年月かも
           知れないが、実は最も居心地の良いポジション、自分自身として生きられる世界を手に入れようとし
           ていた軌跡としての20年なのだから・・。
     
    
     久間氏は、この後、”はぐれ者”としての矜持を持って生きてきた舟木さんや、絶世の美女でありなが
           らきっぱりと美人女優をやめた和泉雅子の生き方をより際立たせるために、吉永小百合の生き方(否
           応なく戦後民主主義の理想と永遠の美女であることをを期待され、それを生きる)を対比させて、記述
           していく。
 
     そして「停滞から衰亡への一里塚である3.11を経た今(P171・・加筆された記述)」、失われた20年とい
           う長いトンネルの中を走る列車に乗って、私たちは現在どこへ行こうとしているのだろうか?と危惧さ
           れる。
 
     この部分の”失われた20年”がどの20年を指しているのか、判然としないのだが、トンネルの車窓に
           映っている自分たちの姿を、かつての自分たち、未来の自分たちの目にはどう映るか、無性に知りた
           い、ということでこの”覚え書き”を結ばれている。昭和の前半にやってきた”賑やかな滅び”が覆うこと
           への不安とともに。
 
      久間氏は、できるだけ客観的に「青春歌謡映画」の時代を考察しようと努められ、 団塊の世代の私
            は、舟木一夫、和泉雅子の青春をリアルタイムで生きたものとして、できるだけ冷静に読ませて頂こ
            うとした。
      しかし、どうしても舟木ファンとしての視点で読み進んでしまう。
   
      久間氏の記述にも、ほんの少々和泉雅子ファンの視点が垣間見られると思うのだが(久間氏は否定
      されるかも)、読者はそれぞれの立場で氏の考察を読む。  
      何はともあれ、全く同世代とはいえない久間氏が、「舟木一夫・和泉雅子」黄金コンビの時代を考察し、
      月刊誌に2号にわたりその記事が掲載されるのだから、舟木ファンとしては有難い限りである。
 
        
      感受性の強い時期、舟木一夫と和泉雅子主演を初めとする「青春歌謡映画」を見て私たちは育ち、
      楽しませてもらった。世代の宝物として大切にしていきたいとの感がだんだん強くなってくる。
         
       それぞれの舟木一夫であり、和泉雅子であり、「青春歌謡映画」であるのだから結論が出るものでは
             ないが、「新潮45」への反響はどうだったのだろう。 気になるところである。