永遠の「高校三年生」 舟木一夫・和泉雅子の「失われた20年」 ① | 満天の星Lovelyのブログ

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60周年をあれほどに輝かせながら61周年へと繋げていかれた舟木さん、本当にお見事でした!
2023年もこれからもずっと、素晴らしい夢時間を頂けますように・・・。

                       永遠の「 高校三年生 」    ①
 
                舟木一夫・和泉雅子の「失われた20年」
 
                     久間十義   「新潮45」 3月号    
 
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 新潮45 2月号 
 「青春歌謡映画」一瞬の光芒
 舟木一夫・和泉雅子コンビの60年代  後編
 
 
 この記事の3月号目次は、2月号より見やすい 
 場所に移り、活字も大きい。
                                  ひょっとして反響が大きかったからか、なんて
 根拠のないことまで思いついてしまう。
 
                                  前月号では、主に1960年代の世相と絡めて、
 舟木・和泉の黄金コンビが語られていた。
 
 高度経済成長時代を「貧乏と希望のアマルガ   ム」の中で生きていった世代
 
                                       その世代の「若さ」と「新しさ」とは?
                                       「出て行く者」と「とどまる者」との拮抗
                                                                等々、
 
    「 北国の街 」 の和泉雅子の美しさと健気さに目を見張り、、ほとんど討ちのめされんばかりに惹き
         つけられ、 癒された久間氏の熱い筆が踊っていた記事であった。
 
    しかし、その「青春歌謡映画」は一瞬の光芒に過ぎなかった(と、氏は考察する)。
    それなら、その黄金期を過ぎた70年代、80年代が舟木一夫、和泉雅子にとっての「失われた20年」
    であり、後編のテーマということになるのか。
 
 
 
    久間氏は、「青春歌謡映画」の変質について、繰り返し記述されている。(P161~P163)

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    ・舟木・和泉コンビとしては、1966年の「絶唱」を頂点として 
     も、それはもう「青春歌謡映画」ではない。
     どこから見ても文芸映画である。
 
 
    ・時代の流れとともに人々の生活は豊かになり、青春歌謡
          映画は次第に変質する過程にあった。
 
 
 
    ・舟木映画の66年からの変質は芸能人・舟木の大人として
     の成長にも関わっている。
      (下線は「哀愁の夜」~「絶唱」にかけてのことと思われる)
 
 
 
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 1965年10月
 
 
 
                        1966年8月
 
                    
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                           1966年2月
 
 ・68、69年においては「若さ」と「希望と貧乏」を        イメージ 4
  ベースにした青春歌謡映画ははっきりと時代遅れ
  となっていた。
 
 
 ・(1968年当時、ファンたちは)日活の映画や
  舟木一夫を 初めとした青春歌謡曲に、明瞭な
  違和感を抱き始めていた。
 
 
 
 ・学園の青春を歌った歌謡映画ははっきり過去の
  ものだった。  
 
 
        
  イメージ 6       1969年1月                                               1968年3月
 
 
       なるほど、1970年を挟んでの前後数年間は、激動の時代 
       だった。
      それぞれが実感としてよくわかると思う。
      激しい渦に飲み込まれて、まともには立っていられなかっ 
      た疾風怒涛の日々。
 
      もう、学園もなく仲間もいなくなったから、学園ソングは歌 
      えなかった。
 
     
      すでに青春歌謡映画のファンにとっての”歌との別れ”は有無を言わさずに訪れていた(P164)、
      ということになる。
         私自身、舟木さんの歌も映画も、もう卒業したものと勝手に思っていた。
      卒業したのだから、70年以降の舟木さんは全く視野に入ってこなかった。
 
                                                                                                         ②へ続く