永遠の「 高校三年生 」 ①
舟木一夫・和泉雅子の「失われた20年」
久間十義 「新潮45」 3月号
新潮45 2月号
「青春歌謡映画」一瞬の光芒
舟木一夫・和泉雅子コンビの60年代 後編
この記事の3月号目次は、2月号より見やすい
場所に移り、活字も大きい。
ひょっとして反響が大きかったからか、なんて
根拠のないことまで思いついてしまう。
前月号では、主に1960年代の世相と絡めて、
舟木・和泉の黄金コンビが語られていた。
高度経済成長時代を「貧乏と希望のアマルガ ム」の中で生きていった世代
その世代の「若さ」と「新しさ」とは?
「出て行く者」と「とどまる者」との拮抗
等々、
「 北国の街 」 の和泉雅子の美しさと健気さに目を見張り、、ほとんど討ちのめされんばかりに惹き
つけられ、 癒された久間氏の熱い筆が踊っていた記事であった。
しかし、その「青春歌謡映画」は一瞬の光芒に過ぎなかった(と、氏は考察する)。
それなら、その黄金期を過ぎた70年代、80年代が舟木一夫、和泉雅子にとっての「失われた20年」
であり、後編のテーマということになるのか。
久間氏は、「青春歌謡映画」の変質について、繰り返し記述されている。(P161~P163)
・舟木・和泉コンビとしては、1966年の「絶唱」を頂点として
も、それはもう「青春歌謡映画」ではない。
どこから見ても文芸映画である。
・時代の流れとともに人々の生活は豊かになり、青春歌謡
映画は次第に変質する過程にあった。
・舟木映画の66年からの変質は芸能人・舟木の大人として
の成長にも関わっている。
(下線は「哀愁の夜」~「絶唱」にかけてのことと思われる)
1965年10月
1966年8月
1966年2月
・68、69年においては「若さ」と「希望と貧乏」を
ベースにした青春歌謡映画ははっきりと時代遅れ
となっていた。
・(1968年当時、ファンたちは)日活の映画や
舟木一夫を 初めとした青春歌謡曲に、明瞭な
違和感を抱き始めていた。
・学園の青春を歌った歌謡映画ははっきり過去の
ものだった。
1969年1月 1968年3月
なるほど、1970年を挟んでの前後数年間は、激動の時代
だった。
それぞれが実感としてよくわかると思う。
激しい渦に飲み込まれて、まともには立っていられなかっ
た疾風怒涛の日々。
もう、学園もなく仲間もいなくなったから、学園ソングは歌
えなかった。
すでに青春歌謡映画のファンにとっての”歌との別れ”は有無を言わさずに訪れていた(P164)、
ということになる。
私自身、舟木さんの歌も映画も、もう卒業したものと勝手に思っていた。
卒業したのだから、70年以降の舟木さんは全く視野に入ってこなかった。
②へ続く