
夜更けのダイナーに、再びカウベルのくぐもった音が響く。
席はまだ空いている。
冷えた体を温めるのには、少し苦味の強いブラックコーヒーがいい。
全十回で綴る『ナイトホークス』の夜の思索、第4夜となる今宵は、カウンターに身を沈める男たちの「鎧」について語ろうと思う。
彼らが身に纏うスーツ、そして目深に被られた中折れ帽、フェドラハットが発する無言の美学についてだ。
絵の中の男たちは、深夜の屋内でありながら帽子を脱ごうとしない。
本来、紳士の作法として屋内で帽子を脱ぐのは常識である。
しかし、彼らは頭からフェドラハットを外さない。
それはこの場所が、身分やマナーを問われない匿名の吹き溜まりであると同時に、彼らが今もなお「夜の街という戦場」の只中にいることを示唆している。
1940年代のアメリカにおいて、帽子は単なる日よけや防寒具ではなかった。
それは男の矜持であり、他者に本性を見透かされないための防波堤だった。
つばを少し下げ、目元に濃い影を落とす。その影の奥で、男たちは冷徹に世界を観察し、あるいは己の孤独をそっと隠していた。
この時代の男たちのファッションを思い浮かべる時、私の脳裏には常にいくつかの鮮烈な映画の記憶が交錯する。
たとえば、1930年のシカゴを舞台にした『アンタッチャブル』だ。
禁酒法時代のマフィアと捜査官たちの暗闘を描いたあの作品で、男たちは皆、完璧なスーツと中折れ帽で武装していた。
ケビン・コスナー演じる財務省特別捜査官エリオット・ネスの折り目正しい端正な着こなし、ショーン・コネリー演じる初老の警官マローンの年季の入った渋み、そしてロバート・デ・ニーロ演じるアル・カポネの、権力を誇張するような幅広のラペルとふんぞり返るような帽子の被り方。
スリーピースのスーツの下に隠されたサスペンダーは、男たちの背負う責任や業の重さを暗示するように肩に食い込んでいた。
彼らにとってスーツと帽子は、自らの信じる正義や悪の掟を貫くための絶対的な戦闘服であった。
そしてもう一つ、『ナイトホークス』が描かれたわずか5年前、1937年のロサンゼルスを舞台にしたロマン・ポランスキー監督の『チャイナタウン』である。
ジャック・ニコルソン演じる私立探偵J・J・ギテスは、乾いた西海岸の空気に合わせて明るいアースカラーのスーツを纏っていた。
鼻に白い絆創膏を貼り、口元には常に煙草を燻らせ、フェドラハットの奥から疑り深い目を光らせる。
いかにスーツの色が明るくなろうとも、その本質にあるハードボイルドの精神は変わらない。
決して他人に心を許さず、厄介な真実に一人で立ち向かっていく男の孤独なシルエットがそこにあった。
彼の傍らに座るフェイ・ダナウェイ演じるミステリアスな女の姿は、『ナイトホークス』のカウンターで静かに指先を見つめる赤いドレスの女の系譜と完全に重なり合う。
1930年代の映画で描かれた、重厚で華麗なメンズスタイルの黄金期。
その美学は確実に『ナイトホークス』の男たちにも受け継がれている。
しかし、1942年という時代背景は、彼らのシルエットにわずかな変化をもたらしていた。
戦争による深刻な物資統制、いわゆるL-85指令によって、スーツからベストが消え、生地を節約するために全体的にスリムなツーピースへと移行していったのだ。
絵の中の男たちの背中が、どこか削ぎ落とされて見えるのは気のせいだろうか。
それは単に布地が減ったからだけではない。不穏な時代の中で、生きるために不要な装飾を剥ぎ取られ、剥き出しの孤独を抱えるようになった男たちの内面が、そのタイトな背中に表れているように思えてならない。
カウンターの奥で背中を向けて座る男。
彼の分厚い背中と、深く被られた帽子の陰からは、一切の表情を読み取ることができない。
彼は『アンタッチャブル』のネスのように巨大な悪と戦っているわけでもなく、『チャイナタウン』のギテスのように複雑な陰謀を追っているわけでもないだろう。
ただ、都会の片隅で、誰の記憶にも残らないようなありふれた夜を持て余しているだけだ。
それでも、彼がその身に纏うスーツとフェドラハットは、決して失われることのない男の美学を静かに放っている。
屋内であっても帽子を脱がないというその行為自体が、「いつでもこの場所から立ち去れる」という夜の漂流者としての宣言のようにも見える。
ジャケットの袖から伸びた手が、ゆっくりとコーヒーカップを口に運ぶ。
向かいの男の指先には火のついた煙草が挟まれ、細い紫煙が青白い蛍光灯の光の中へと溶けていく。
その所作には、作家コーネル・ウールリッチが夜更けのホテルの部屋で、サスペンダー姿で孤独にタイプライターを叩いていた時のように、疲労と引き換えに得た一種の透明な静けさが漂っている。
ダイナーの中は、驚くほど静かだ。
男たちの被るフェドラハットは、外の世界の喧騒も、忍び寄る戦争の足音も、すべてを遮断する小さなシェルターなのかもしれない。
人は時として、重いコートと帽子で物理的に身を固めることで、脆く崩れそうな心を必死に守ろうとする。
あの二人の男の影の奥にある瞳が、真っ暗な窓ガラスの向こうに何を見つめているのかは誰にもわからない。
ただ確かなのは、彼らが極上のハードボイルドの主人公たちと同じように、自分の孤独を誰かのせいにはせず、黙って飲み込む術を知っている大人だということだけだ。
夜はまだ深く、この静寂に包まれたダイナーが隠し持っている物語は尽きそうにない。
次の第5夜に、私たちがこのガラス張りの箱の中のどこへ視線を向けるかは、その時の夜風の冷たさにでも任せるとしよう。
マスターにコーヒーのおかわりをもらい、紫煙の行方を眺めながら、もうしばらくこのほろ苦い余韻に浸るのも悪くない。




