おはようございます。腸セラピストで養腸家のmanoです。
ちょっと前に、おにぎり100グラムについて綴りました。
コンビニのおにぎりと比べたらあきまへん
って書きましたが、コンビニがよくないということではなく
いやいや、諸手を挙げて賛成はしませんケドね。
独り
コンビニめし
しかも
○○しながらの ながら食べ
ってことがよろしくないと思うのです。
これだと、食べるってことが大事なイベントとして成立してないもの。
書き方に語弊があるかもしれませんが、エサっぽい。
食べるって、もっとスペクタクルでエキサイトするですよ。
目の前にある食べ物が、時間を経て
じぶんの60兆個の細胞ひとつひとつに変換されるんですもの。
というワクワクする儀式を、なんとなく惰性で食べたり、
寂しい、つまんない、うまくねーって感じながら食べたりするのは
腸にも体にもよろしくないのでは、って思うのです。
母につくってもらったおにぎり を食べているときって
むっちゃ幸せな氣持ちになれるんですね。
独りでいるんですが、独りっぽくないというか。
むしろ、独りでいることで幸せを思いっきり存分に味わっているというか。
コンビニおにぎりだったら、そんな想いに浸れないかもって思うんです。
でも、それが青空の下で、仲のよい、氣の合う仲間たちと食べたら、
コンビニおにぎりもすごい美味しいおにぎりに感じるのかもしれません。
何をどれくらい食べるのか、っていうのは体を作る上で
ありえないくらい大事なこと。
んで、あんまり体によろしくないかもしれないものを食べるときは
誰とどんなシチュエーションで食べるかによって、
ぜんぜん染み渡り方が変わるんじゃないかなって感じるのです。
そこに根拠もエビデンス(証拠)もないけれど、そういうものが確かにあると思うのです。
例えば、好きなひとと苦手なひと。
それぞれとご飯食べたときのおいしさを感じる感覚や
からだの消化や吸収速度って、絶対的に違うから。
独りでも、誰とでも、どんな氣持ちでごはんを食べるのか、っていうことで
体の出来上がり方が違うと思うのです。