9月3日より関西では初めてになるマンタム個展 「畜骸曲舞団」が始まります。
9月3日~17日迄
3日午後7時よりオープニングパーティ開催 何方でも入場できます。
4日か5日頃迄在廊の予定です。
畜骸曲舞団
(河原に打ち捨てられた畜骸のなかで繰り広げられるサーカスとそれに加担し放蕩する錬金術師のドラマであること)
それは道路の端の背の高い草に隠れていたり、澱んだ中州だらけの川べりのどこかに打ち捨てられた畜骸だった。
そ
い
つ
は
な
か
ば
廃
虚
の
よ
う
に
な
っ
た
千
切
れ
た
ト
タ
ン
壁
の
下
に
隠
れ
る
よ
う
に
転
が
っ
て
い
た
が
こ
こ
暫
く
続
い
て
い
た
ひ
り
つ
く
紫
外
線
の
せ
い
で
カ
ラ
カ
ラ
に
干
涸
び
赤
黒
い
皮
袋
の
よ
う
に
膨
れ
上
が
っ
て
い
た
なんだかお前はすっかり痩せこけちまって、剥き出しのあばらの中はすっからかんでさ、もう蛆がたかることもできないくらいからっぽの抜け殻なんだよ。
で
も
そ
れ
だ
か
ら
そ
こ
で
サ
l
カ
ス
が
は
じ
ま
っ
た
の
さ
骨をすり潰して白粉にしよう。
赤や緑に干涸びた内臓はそのまま泥水で溶いて顔や唇に塗ろう。
あばらから糸屑のような神経がはみ出した脊椎にロープを張って色とりどりの万国旗をつるそう。
すっからかんの胃袋に水を張って飛び跳ねる羽虫に曲芸を覚えさせよう。
其れ故死骸は馬でなければならない。
足を折ったまま放置され朽ち果てた荷役のつまらない馬だ。
名前すらなかったから誰に呼ばれることもなくそのまま干涸びたのだ。
長い戦争がやっと終わってくだらない死骸になってはじめて近くの子供達が見つけたのだがつまらなくてもう誰も見向きもしない。
月がたまに降りて来てその辺の瓦礫を照らしたがそれでもそのサーカスを見に来たわけではなかった。
誰
も
な
に
も
盗
ま
な
い
サーカスはガラスに熱がこびりつくような夜にたまにはじまるがそれに必要な観客はいつもいなかった。
それでもオレは顔を赤や緑に塗りたくって白くだんだらに塗られたステージに立つんだよ。
火を吹くような炎天の下で破れた傘を広げてわらわらとステップを踏もう
どうでもいいリズムで世界を見限ろう。
ど
こ
ま
で
も
広
が
る
砂
の
果
に
し
が
み
つ
い
て
い
る
く
だ
ら
な
い
時
間
を
た
と
え
よ
う
も
な
く
嘘
ば
か
り
つ
い
て
や
っ
と
や
り
す
ご
し
て
い
る
道
化
師
達
の
呪
縛
か
ら
逃
れ
る
為
に
でもなんのことはない
それは昨日までのまだ笑う事さえ出来ない自分そのものだな。
マンタム
mantam
大阪出身
1975年に初の映像作品となる 「畜骸曲舞団」を制作。
これが以降の作品制作の原点となる。
大阪芸大を拠点に自主制作自主上映活動、劇団等を結成し78年迄大阪で映画の制作と上映演劇活動を続ける。
79年頃上京
イメージフォーラムで「normal lamp」上映以降
83年頃迄吉祥寺 新宿 高円寺等で 上映 上演活動を行う
この時期より魔術研究に入り劇団活動にその成果を成そうと試み霊的劇団として「脳ト眼球ノ時代」を結成する
同時期暗黒大陸じゃがたらの江戸アケミ 斜眼帯 山本正志等と活動をともにしていたことがある
当時緊縛師としても活動し日活最後のロマンポルノシリーズで緊縛監修等を努め各雑誌に寄稿していた。
あらゆる活動を一旦終了させ84年頃より古道具屋修行に入る
2009年大阪大阪市立自然史博物館 ほねほねサミットに出展
2010年秋 パラボリカ・ビスで初の個展開催
以降パラボリカ・ビスを中心に個展 多くのグループ展に参加
企画展も手掛ける
パラボリカ・ビスでの展示のほぼ全域にわたる美術空間設計を担当
チェコ大使館チェコセンターで開催され好評を博したヤン・シュヴァンクマイエル氏への逆襲展を企画主催
去年夏開催された マックス・エルンスト ヤン・シュヴァンクマイエル 上原木呂 展で美術監督で参加。会場入り口に椅子を天井に貼付けたオブジェを制作。
HYDEの最新PVに特殊美術で参加。作品が多数出演している。(今年のハロインで公開予定)
現在に至る