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チトラのブログ

◆ 母の肺の腺がん ◆ 大きさステージⅣa 転移ステージⅡ 1010年9月28日判ったです ◆
肺の腺がん2020年9月16日に確定、2020年10月19日から初めての抗がん剤治療入院~翌月11月5日17時19分天国へ★あまりに急変で、置いて逝かれちゃった

私は、実家の店を手伝いながら、友人夫婦を表に立て、金貸しをしている時、どこで嗅ぎ付けたのか、私の遊び仲間を仲介者に立てて、私の所に直接、2人の女性が別々にお金を借りに来た。

1人は、芸者さんで、有る議員の愛人だった。

もう1人は、身に付けている持ち物、衣類を見ても、高級品で飾り、ホテル暮らしでチョット得体の知れない女性だったが、もしお金を返さなかった時は、全て遊び仲間が払うと言う事で、融通していた。

この2人の女性は、マージャン仲間で、千円ー三千円の高いルートで賭けマージャンを遣っていて負が込み借りに来ていたが、益々負が込み、ツイには、十一で貸してくれと、言うようになっていた。

私は、こゆう借り方は、直、借り手がパンクして返せなくナル事を知っていたので、この2人の女性に注意と意見をしましたが、2人共、今までの、負けた分を取り戻せると思っていて、全く私の言う事には、耳を貸さず、私が、お金を融通するように、巧い話をして、借りて行ってました。

そして、そゆう事は、すぐ起こりました。

お金を返す期限が遅れる用になり、いよいよニッチもサッチも行かなく、なる前に私は、期限が過ぎているので、取立てに行きました。

芸者さんの所に取り立てに行った時、芸者さんの姿は、借りに来ていた時とは違っていて、髪も乱れ、着物もダラシナク着崩れハレホレの状態でした。

私は、部屋に通されて驚いた、チョー高級家具のオンパレードだ、議員の愛人て凄いなーと感心したものです。

議員は私が来る30分位前に帰り、芸者さんは、議員から凄く怒られたそうです。

芸者さんから聞いた話ですが議員が言うには、今まで、散々お前の尻拭いをしてきて、お前と別れなかったのは、

途中から議員の気持ちが、男と女の関係では無く、ドウショウモナイ、子供を持った親の気持ちになり、別れたらどうなってしまうのか、心配で別れられなかたが、今度遣ったら別れると言う事で、今回は尻拭いしてくれたそうです。

私は無事に取り立てが終わりほっとしました。

そして、もう1人の女性も、アッチコッチから借りていたので、取立てやに追われホテルを転々としっていて、居所が分らなく、なりそうになっていたが、チョット裏のテを使い追い込みを掛けた、直に連絡が入り、指定された場所に行くと、女性は、スッカリ人相が変わりオドオドしてまるで別人の用に変わり果てた姿になっていた。

この女性の素性は、最後まで分りませんでしたが、この女性の立ちい振るい舞、身に付けている物から見て、ドッコカの遊び好きの良家の人だっと思います。


ギャンブルで人生を失敗する人は、本当に多いです。

ご用心、ご用心。

私は、1年間、実家の店を手伝う事になった、初日の朝から店は、有る大手企業の幹部管理職の人達が全員来てくれて、何時もニギヤカでした。

その反面、馬鹿な私は食で贅沢の限りを尽くして来たので、着るものとか、持ち物は、我慢できましたが、食に関しては、地獄に落とされたような苦しみに我慢できず、私の友達の夫婦を表に立て、また金貸しを始めてたとき、

こうなる何年か前に私は、地元の神社で有る会の人達から声を何度も掛けられている内にイツシカ一緒にお参りする様になり、その内の1人の方が良く透視と、ゆう事を遣り、私の、実家の食堂が、その方が透視してクレタお陰でガス爆発から助けられた事も有り、また会の人達も、礼儀正しく謙虚で親切で優しい方々で、私もそうですが、他の会に入ってイナイ人にも一度も会に入れとか、強制された事が無く、また私は、この会の人達から精神面で凄く助けられたり、教えられた事も多く、私は、この会の人達からは、可愛がられていたと思います。

その会の人達から、こんな状態の私に声を掛けて下さり、この会の方々の1年に1回の家族全員と友人達と祝う、神、仏のマツリゴトに私は、招待されました。

二件だけ書きたいと思います。

一件目は先祖代々の医者の家の大奥様です。

この家に行って驚きました。

それは、この医者の家族全員が毎日遣ってきた、人に対する自然な心の立ちい振る舞いです。

先祖代々から、オツカイしマツリゴトを大事にして来た子孫とは、コンナニも暖かい心を持ち何事にも感謝し、私のような者にまで、礼を尽くしてくれるのかと、驚きと、自分の手の合わせ方と心の未熟さを、考えさせられました。

また自然の感謝の心の立ちい振る舞いとは、人に心地、良い感動を与えるものだっと、そこに招待された人達は、言葉に出していっていました。

私も本当にそのトウリだっと思います。


二件目も書こうと思いましたが、チョット用事が出来、書けなくなりましたが、また何かの時に書こうと思います。

私の、当時の、その1年間の間に有ったサマザマな心の動き出来事が少し続きますが、今後も宜しくお願い致します。

私は、八方塞の抜け道を、信州にいる10人目の行者に聞き、直、東京に帰り実家に行き母に話した。

その頃、実家の食堂は、店員が居なくって募集中だった、お袋は私の話を聞き、お袋自体、大いに、お前が来て手伝ってくれれば助かるが、今は弟夫婦と一緒にやっているので、一応、弟夫婦にも相談しなければと、言う事で、弟を呼び、私の事を話すと、弟は、その場で、内も手が無くて困っていた、手伝ってくれれば、助かると言う事で話が決まり、翌日から手伝う事になりました。

この頃、私は、離婚のチョット前から、金貸しをやって生活費を少し稼いでいました。

これをキッカケに、そゆう事も止めて、実家から貰う安い給料でやる決心をし自分でも、こんなテイドの事なら出来ると思っていました。

この時の私は、Kとの3回目の離婚で、Kや、Kの親兄弟が最も嫌う神棚を直作り、家に神と、仏教の仏をマツていた。

そして私は、実家に行く、その日の朝、何時もお参りに行く地元の神社に行き、今日から1年間、実家の手伝いをします。

その間は、店に出る前に、必ず、お参りしてから、行きますので、どうか無事に1年間が明けますようにと、挨拶してから実家に行っていました。

私は実家に行く最初のお参りを済ませ神社の階段を、下りて来ているいる時、この事は、ずうと後で分かった事ですが、有る大手企業の管理職に見初められ、私は後を付けられ、実家の店に入り私が見せのウインドウを拭いているのを見て、ここの店の者だっと確認して、私が実家に行ったその日の朝から、この大手企業の管理職達が毎日、大勢来てくれるようになりました。

私も母も、私が、この企業に拾われるチョット前まで、この管理職達が、カノ有名な大手企業の管理職とは、全く知りませんでした。

お袋と私は、何時も、この人達の話をする時、何所の人達だろう、何時も礼儀正しく、謙虚で、皆、余程の教育をうけて、大学も出ている立派な人達何だなと、良く話していました。

そして私は、今まで食べ物に関して贅沢の限りをしてきたので、とうとう我慢が出来なくなり、悪知恵を使い、自分の名と自分が表に出なければ、良い事だっと考え、有る夫婦を表に立て、金貸しを、また始めました。



食べ物で贅沢の限りを尽くして来た私は、店が終わった後、皆で食べる、ご飯のオカズが余にも質素で、ご飯も冷たく、これを、この先1年間食べるのかと思ったら、思わず涙がハラハラと流れました。

本当に私はチョー愚か者です。

私は、夫Kと3回目の離婚をする前にKが家を担保に銀行からお金を借りていたので、離婚するに当たって、Kからその、お金を取り上げ、家の名義も私に書き換え、子供の養育し月4万円で話を付け、次の人生に、進む為に、どの方位に仕事場を見つければ良いのか、私の母の知っている行者の所に行き相談すると、私の、これからの1年間は、全て八方塞で、ジーット家に止まり1年明けてからする事が良いと言われたが、1年間遊んでいたら次に仕事する軍資金が減ってしまうので、何としても、八方塞からの抜け道がないか、都内だけで、9件の占い師、行者の所を渡り歩いたが、全てが、最初の行者の言った事と同じ事を言われた。

そして最後に思い出したのが、当時、私の母が、最も信頼している、行者が信州にいるのを思い出し、私は、母に相談して、直、信州に立ち、その行者の所にいった。

でも答えの結果は、9件の占い師、行者の言った事と同じだったが、私は行者にクイサガリ何か有るハズだっと言うと、行者は、一瞬ムットして私を睨んだが、直、目をツブリ少し考えてから、行者は私に、家族で誰か商売をしている者はイナイか聞かれ、私は、兄弟達は、レストランと喫茶店を遣っていて、実家は、食堂をやっていると、言うと、行者は、それだ、お母さんだ、お母さんが遣っている食堂を1年間手伝わせてもらって、一切の事に目をつぶり、耳を閉ざし、そこでじっと、時がくるまで、ショウジを締め切った状態でオトナシクしていれば大丈夫だが、貴方に、それが出来るかなと言われ、私は1年間の生活費の事をパット考え、これなら、次の仕事の軍資金に手を付けず何とか切り抜ける事が出来ると思い、行者に出来ますと言うと、行者は、うーんと言って、首を横にしって私をジーット見ていた。

これで何とか八方塞から抜けられると思って、ほっとして家に帰りました。

入院していて大分、間が開いてしまいましたが、また宜しくお願い致します。



夫Kが競馬のノミ行為で警察に捕まり、Kが20日間の拘留と罰金を払って帰ってきてから、真面目に働くと、言う事を前途に喫茶店を遣る事になっていましたが、売り手の方が大きな問題を抱えていて、話が流れてしまい、今度は、輸入業を遣ると言い出し、会社を設立しましたが、全て偽物のブランド製品でした。

この時のKは、警察に捕まって20日間の拘留期間中に、有りとあらゆる、悪知恵と、賭け式と人を惑わす事を、また新たに覚え、より一層そゆう事に磨きを掛けていた。

私は、こういったKの素行の悪さを、子供の為にも何とか直そうとして、色んな本を読み、知恵を借りKを真面目にしょうと思いましたが、何時も大喧嘩の果て惑わされてしまい、人間のやる事には、限界が有ると思い、行者の所に出入りし、行者に言われる儘に、あらゆる供養をしましたが、収まらず、私も我慢の限界を越え、もうこんな生活は嫌だ、警察に捕まる怖さで、何時もビクビク、オドオドし、私の親、兄弟達にも迷惑の掛けどうし、堂々と、おてんとう様の下を胸を張って歩きたいと、ゆう気持ちが、もう自分でも抑えられなくなり、私は、役所に行って離婚の用紙を貰い、私はKにもう話す事は何も無い、私が帰ってくるまでに、この離婚用紙にサインしろと、言って私は、子供を連れて、精神的に疲れた体を癒す為、沖縄に三泊四日の旅に出ました。

そして旅が終わり、羽田に着いた時Kがいた、子供は、Kを見るなりパパーパパーと言って走ってKに跳び付いていた、Kの顔を見ると泣いていた、Kは私に俺が悪かった、もう一度、子供の為に、やり直したい、頼む考えを変えてくれ、人前もハバカラズ、泣き、子供の為にと言われた事で、私の固かった離婚の決意は、モロクモ崩れさてしまい、またKと暮らしましたが、Kは、益々悪くなり、この時Kは、愛人と私の間を行ったり、来りで離婚しても直帰って来てしまい、離婚を2回繰り返し、とうとう3回目の離婚をした時、私は、前後の見境なく、よくもここまで、私を精神的にズタズタにしたなと、ゆう怒りに自分を抑えられず、Kと女の所に乗り込み、2人をブチのめしてやろうと思いましたが、Kと女に警察を呼ばれ、ブチのめす事が出来ませんでした。

その後も、私は怒りが収まらず、何回か行きましたが、直、警察を呼ばれ、2人をブチのめす事は、出来ませんでした。

この時の私は、精神的にズタズタに疲れ、私の顔は、深いシワだらけになり、見られた者では有りませんでした。

そんな情けなく、なった己の姿を鏡で見ながら、次の人生を考えていました。