私は、八方塞の抜け道を、信州にいる10人目の行者に聞き、直、東京に帰り実家に行き母に話した。
その頃、実家の食堂は、店員が居なくって募集中だった、お袋は私の話を聞き、お袋自体、大いに、お前が来て手伝ってくれれば助かるが、今は弟夫婦と一緒にやっているので、一応、弟夫婦にも相談しなければと、言う事で、弟を呼び、私の事を話すと、弟は、その場で、内も手が無くて困っていた、手伝ってくれれば、助かると言う事で話が決まり、翌日から手伝う事になりました。
この頃、私は、離婚のチョット前から、金貸しをやって生活費を少し稼いでいました。
これをキッカケに、そゆう事も止めて、実家から貰う安い給料でやる決心をし自分でも、こんなテイドの事なら出来ると思っていました。
この時の私は、Kとの3回目の離婚で、Kや、Kの親兄弟が最も嫌う神棚を直作り、家に神と、仏教の仏をマツていた。
そして私は、実家に行く、その日の朝、何時もお参りに行く地元の神社に行き、今日から1年間、実家の手伝いをします。
その間は、店に出る前に、必ず、お参りしてから、行きますので、どうか無事に1年間が明けますようにと、挨拶してから実家に行っていました。
私は実家に行く最初のお参りを済ませ神社の階段を、下りて来ているいる時、この事は、ずうと後で分かった事ですが、有る大手企業の管理職に見初められ、私は後を付けられ、実家の店に入り私が見せのウインドウを拭いているのを見て、ここの店の者だっと確認して、私が実家に行ったその日の朝から、この大手企業の管理職達が毎日、大勢来てくれるようになりました。
私も母も、私が、この企業に拾われるチョット前まで、この管理職達が、カノ有名な大手企業の管理職とは、全く知りませんでした。
お袋と私は、何時も、この人達の話をする時、何所の人達だろう、何時も礼儀正しく、謙虚で、皆、余程の教育をうけて、大学も出ている立派な人達何だなと、良く話していました。
そして私は、今まで食べ物に関して贅沢の限りをしてきたので、とうとう我慢が出来なくなり、悪知恵を使い、自分の名と自分が表に出なければ、良い事だっと考え、有る夫婦を表に立て、金貸しを、また始めました。
食べ物で贅沢の限りを尽くして来た私は、店が終わった後、皆で食べる、ご飯のオカズが余にも質素で、ご飯も冷たく、これを、この先1年間食べるのかと思ったら、思わず涙がハラハラと流れました。
本当に私はチョー愚か者です。