チトラのブログ -19ページ目

チトラのブログ

◆ 母の肺の腺がん ◆ 大きさステージⅣa 転移ステージⅡ 1010年9月28日判ったです ◆
肺の腺がん2020年9月16日に確定、2020年10月19日から初めての抗がん剤治療入院~翌月11月5日17時19分天国へ★あまりに急変で、置いて逝かれちゃった

私と、子供達と食事が出来た事で前夫Kは、よく誘いの電話を掛けてくるようになった。

私が、親に弱い事を知っていて、母が電話に出ると、Kは、お得意の惑わしを使い、親の気をしき、親がもうKを許してやれと言うように、Kが誘導し始めてた時、N夫婦も段々と私を束縛するように、なって来た。

そして朝、毎日食べに来てくれている、大手企業の幹部管理職たちの、社の食堂も社員達が色々要望しても、中々改善されなく、良く店で、社の食堂のどーゆう所がイケナイのか、事細かに話しているのを聞かされている内に、管理職の1人が皆の前で、笑いながら私に大きな声で、どうだ内の食堂をやらないか、と声を掛けてクレタが(この管理職の事をこれから、O課長と書きます。)このO課長は、何時も冗談を言って、皆を笑わせたり、また朝から酒にヨッパラている父を店のホールに出して皆でカラカッテ場を盛り上げていたので、私は、この時、何時もの冗談で言っていると思い、私は、はい遣らせて下さい、と言った。

Kもフルに悪知恵を使って子供にプレゼントを送って来たりして、子供をダシに私を交えて、食事が出来るように持っていかれ、会う度に泣き言を聞かされ、女とは別れると言い出したり、私が他の男と遊んでも、俺が悪いんだから、気にする事は無いよとサモ私が、男オモチャと遊んで来た事を知ったかな、ような口を利くようになって、Kが復縁しやすい状況を作り出してきた頃から、N夫婦の私に対しての束縛が異常になり、私も段々嫌気がさし、距離を置くようになっていた。


この時、N親は、N夫婦と私が喧嘩してコジレテ事件を起こすのでは、ないかと心配して、何とか事件になりませんようにと、必死に手を合わせていた事を後に、N親と私の共通の知人から聞いた。

この時まだ私も母も、管理職の制服を見ても何所の会社の人か全く分りませんでした。

私は、信州まで行ってやっと、八方塞の抜け道を、行者から教えて貰ったのに、食に関して、贅沢の限りを尽くしてきた私は、実家の、ご飯を見て、これからの1年間、こーゆう物を食べるのかと、思ったら、涙が思わず零れ落ち、ご飯が喉を通るらず、私は食に関して地獄に落ちたような、苦しみに落ち、日に日に痩せて生き、耐え切れず、又、金貸しを始める事を考えていた。

どうしたら、自分が表に出ず出来るかと、考えた時、当時、私には、家族同然以上の付き合いを、していた有る夫婦がいました。

この夫婦との付き合い方で私は、親、兄弟から、この時まで、絶えず注意されたり、怒られてきた事が有ります。

私の親兄弟達は、私に、お前の付き合い方は、間違っている。

お前の、そんな垣根も作らない付き合い方をしていたら必ず何かの事件を起こす。

直ぐ垣根を作り、この先、良い友達として付き合えるように切り替えろと言われて来ましたが、私は、この忠告を聞きませんでした。

この夫婦と何故、付き合うようになったか、それは地元の神社で有る会の人達から声を掛けられ、一緒にお参りする様になってから、私は、この会の人達から、色々な良い事を見聞きし学ばして貰っている時、会に入っている1人の夫人が近所だたので、親しくして行く内に、この婦人を尊敬するようになってお付き合いしている内に、この婦人の息子さんが、近所で所帯を持っている事を知った、その嫁さんは、私と友達になったバカリの人だった。

これから、この人達の事を、N親、N嫁、N夫と書きます。

私達が知り合うようになってから、姑と嫁問題で離れていた仲も良くなり、N夫の喧嘩早さも、収まり穏やかになり、N親の影響も有り、手を合わすようになっていた。

そして家族同士の付き合いが始まる中で私は、垣根を外してしまい、前夫Kは、人の良いN夫を誑かしKの女の所に連れていたり、使い走りさせていた。

私はKと離婚して益々、N夫婦と家族同然以上の深い付き合いを持ち、人の良いN夫婦を利用してN夫を表に立て金貸しを始めた。


このN夫婦の事を書かないと、この先、書いて行く上でN夫婦が悪いように誤解されますので、本当に悪かったのは、前夫Kと私で、N夫婦を悪くしたのは、Kと私とゆう事を知ってもらう為に書きました。



プレゼント有り難うございます。

アメが無いので、今は、お返しできなく、済みません。

素敵なプレゼント本当に有り難うございます。

これからも宜しくお願い致します。

私が、実家の食堂を手伝う初日の朝から毎日、食べに来てくれるようになった、有る大手企業の幹部管理職達が来るようになって、何ヶ月か過ぎた頃から、管理職達の話題が自分達の社の食堂の最悪サを語るようになっていたとき、(当時この会社は、日本一を目指し飛ぶ鳥をも打ち落とす、凄い勢いで次ぎから次に支社を作っていた、急成長で業界からも、メデイアからも注目され話題の社だった、そして店長が代わるタビに業者達もカンタンに代えられてしまうと、ゆう事でも有名な会社でした。)

私のおもちゃAに、私に手を出すなと圧力が掛けられAがビビッテ私から離れて行く中で、前夫Kから、子供に会わせろと実家に電話がヒンパンに掛かってくるようになった。

私は、色んな本を読んでいたので、Kと離婚したとは、いえ子供にとってKは、父親だし、会わせないと、ゆう事は後々子供の為に良くないのでは無いかと考え、子供もKも何時でも自由に会えるようにした。

そんな中Kから又電話が入り、Kは私に離婚したとはいえ、食事位は、タマニは一緒にしてもいいんじゃないか、と何回も電話が入るようになり、Kは子供をダシに使い、子供もママがいたら良いなと言っていると言い出し、私の母性本能にユサブリを掛けられ、私は、子供と一緒にKと食事するように巧くKに誘導されてしまった。

Kから電話が入り子供と一緒に食事をする事になり食事をしている時、Kは私に、俺が悪い事は、ヨク分っている、だけど俺は、お前達を助ける為に離婚したんだ、あの女から、何回も脅かされ、お前と離婚をしても、すぐ俺がお前達の所に帰ってしまうんで、女が逆上して、俺の事も訴えてメチャクチャにしてやるが、お前達の事もメチャクチャにすると言われて、俺は自分がされるのは、ショウガナイけどお前達まで、巻き添えにしたくなくって、女の言いなりになって、お前達を助けたんだ、分って欲しいのは、俺がお前達の事を大事だっと思ったから、離婚しても女の怒りが治まったら、帰る心算でいたのに、こんな結果になったけど、何時もお前達の事が気になっていた。

自分カッテかも知れないけど、食事ぐらいは、一緒にしたいと、Kに言われたが、私は、一切答えず、食事が終わりKに、ごちそうさま、と言って子供と一緒に家に帰った。


この時の私は、1年が過ぎたら自分で何かをヤル心算でした。




私が、実家の食堂を手伝う、その初日の朝から来てくれるようになった、有る大手企業の幹部管理職達で店は朝から賑わい、毎日、明るい笑い声が耐えませんでした。

店を手伝うカタワラ私は、友人夫婦を表に立て、金貸しを遣っている時、友人夫婦から、色んな人を紹介された、その中に1人の年配の粋な芸能界に籍を置く男が、いた、私は、この男の人を見た時、後腐れ無く遊べて私の都合の良いオモチャに成ると感じた時、(この男の人の事を、これからAと書きます。)遊び慣れ、し切ったAは、さり気無く私に近付いて来て、私を大いに笑わせて心行くまで楽しませてくれました。

そして私はAをオモチャとして付き合っていた頃、Aに大きなレストラン、スナックを任せたいと、ゆう話が舞い込み、Aが、その店を遣り始めた頃Aから電話が有り、風邪で医者に行き朝一番で点滴を打って貰ったが、未だに熱も冷めず、具合が悪くフラフラしているけど、まだ店がオープンして間もないので休む事が出来ないので、店に出るけど、店に来てくれないかと、連絡が入って行く事になりました。

この時、私は有る事を思い出しました。

実家の店の隣は、喫茶店で私は毎日コーヒを飲みに行っていました。

普通はママさんと呼ぶんですが、ここの喫茶店では、皆ママさんとは呼ばず、ばっちゃんと言っていました。

このばっちゃんが、私が店に行くと、ヨク刺抜き地蔵の話をして聞かされていた事が有りました。

それは、ばっちゃんの娘が風邪で熱を出して直らなかった時に、お札を飲ませて治ったとか、うなぎの骨が喉に刺さって、お札を飲ませたら取れたとか、孫がお腹を壊

した時に飲まして治ったとか、色々な刺抜き地蔵に付いての話を思い出し、私は、このお札をAに持って行って、あげようと思いばっちゃんの所に貰いに行くと、ばっちゃんは、二つ返事でクレル事になり2階に取りに行った、2階から降りて来たばっちゃんは、私に悪い、あげられ無くなった、まだ有ると思っていたら、1枚しか無かった、娘や孫に何が有るか分からないし、遣れないと言い出したが、私も後には、退けず、何としても、この1枚のお札を貰おうとしたが、話がつかず、私は、ばっちゃんに、私に、この1枚のお札をクレル事は人間を助けたと、ゆう事に成るんだよと言うと、ばっちゃんは、渋い顔をしながら、ブツブツ言いながらヤットお札をくれた。

お札を手に入れた私は、薬屋に行き、解熱剤と風邪薬を買ってAの所に行った。

私はAを見てビックリした。

Aの顔は、目はグチャグチャに涙目になり、鼻と唇はマンガで見るような、度派手に大きく腫上っていて、とっても、お客様に見せられる顔では無かった。

私が店に行くとAは、私の所に駆け寄って来て、泣き言を言い出したので、私はAに薬とお札を見せ、お札の経緯を話し、これは人の心の入った物だから無駄には出来ない、薬はお金で買って来た、どっちでも好きな方を選びなさい、とAに言うと、Aは、お札を選んだので、私はAに聞いた、私を信じ切る事が出来るかと聞くと、Aは出来ると答えた、そして私は、何でも私の言う事が聞けるかと聞くと、Aは、ハイと答えたので、ジャー赤ん坊に成れるかと聞くとAはハイなれますと答えたので、ジャー赤ん坊になれと言うと、Aはハイと言って目を閉じた、そして私は暫らくしてから、Aに聞いた、赤ん坊に成れたかと聞くと、ハイなれました、と言ったので目を開けさせ、Aにお札を飲ませ、飲んだかどうか確認した、間違いなく飲んだ、そしてAに言った、薬も天から授かった物、店が終わって寝るときに飲んで寝なさいと言って、私は家に帰った。

私が家に帰って2時間も立たない内にAから電話が有り、あれだけ腫れていた顔が治ったと言ってきたので、私は、子供を寝かしてから見に行くと、あれだけ腫れていた顔が嘘だたかのように、綺麗に治っていたのには驚いた、


この時、私は、素直な心が如何に大事かを教えられたように思います。