母の逝去に思う7/10 | mannenhudemaruのブログ

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今週月曜に、ついに母が旅だった。

100歳と10ヶ月だ。

正月にはまだ元気で食欲もあり、昔の写真等見てた。

だがそれから徐々に痩せていき

顔が黒ずんでいった。


2ヶ月位前からは、私が行っても声を出すこともなく

(もう息子を認識出来なかったかもしれない?)

ヨーグルトやジュースを少しだけ飲んで、すぐに横になって

目をつぶる、、、。


辛そうだったので、早く天国の父の所へ行ってくれればと思い、帰路についていた。


そして月曜日、私が晩ごはん食べてたら、兄より「30分前に逝ったからな」と電話が入った。

覚悟していた様な声だった。


今日は母の部屋を整理して遺品を持ち帰った。


表彰状、通信簿、級長指名の辞令、新聞への投稿記事(投稿マニアだった)日記帳等々。


中でも特筆物は3人の総理大臣から表彰状もらってる。

第30代林銑十郎(1937年)

第40代東條英機(1941年)

第101代岸田文雄(2023年)



母は18歳の時、奈良高女に薙刀の師範として選抜され単身就学

20歳の時に教官に着任、


8/6の原爆投下時は、講堂内で指導中、なげとばされる程の強い爆風だったが、特異なる建物の中にいたため助かった。


校庭にいた生徒数百人は死亡したという。

母の通信簿を見ると、体操と歌唱が乙で、それ以外は全て甲。

(昔の成績は甲乙丙丁だった)


成績優秀で何度も表彰されていた。

皆勤賞も何度ももらってた。


もし本土決戦にでもなってたら

真っ先に、、、

ぞっとしてくる。


最後に面白い実話がある。

その後20年も前にこちらへ引っ越してマンション住まいとなった。

近くのドラッグストアに行っては口癖の様に言ってた。

「何か、早く死ねる薬はないか?長く生き過ぎた」と。


そのうち店員達が「死にたいおばさんがやってきた」と

評判になったそうだ。


オーバー会の会長と言われた程

言葉の使い方が巧みだった。

「仏さんにとろろ昆布かけたような顔」、

「えべっさんが福笑いしたような顔」等。

まわりの皆が大笑いしてた。


そのくせ普段は、健康サンダルを履き、養命酒、リポD、逗源等大好きで、回りにも勧めてた。


明日は家族葬だ。

棺の中に入れるものを今晩考えよう。