今週月曜に、ついに母が旅だった。
100歳と10ヶ月だ。
正月にはまだ元気で食欲もあり、昔の写真等見てた。
だがそれから徐々に痩せていき
顔が黒ずんでいった。
2ヶ月位前からは、私が行っても声を出すこともなく
(もう息子を認識出来なかったかもしれない?)
ヨーグルトやジュースを少しだけ飲んで、すぐに横になって
目をつぶる、、、。
辛そうだったので、早く天国の父の所へ行ってくれればと思い、帰路についていた。
そして月曜日、私が晩ごはん食べてたら、兄より「30分前に逝ったからな」と電話が入った。
覚悟していた様な声だった。
今日は母の部屋を整理して遺品を持ち帰った。
表彰状、通信簿、級長指名の辞令、新聞への投稿記事(投稿マニアだった)日記帳等々。
中でも特筆物は3人の総理大臣から表彰状もらってる。
第30代林銑十郎(1937年)
第40代東條英機(1941年)
第101代岸田文雄(2023年)
母は18歳の時、奈良高女に薙刀の師範として選抜され単身就学
20歳の時に教官に着任、
8/6の原爆投下時は、講堂内で指導中、なげとばされる程の強い爆風だったが、特異なる建物の中にいたため助かった。
校庭にいた生徒数百人は死亡したという。
母の通信簿を見ると、体操と歌唱が乙で、それ以外は全て甲。
(昔の成績は甲乙丙丁だった)
成績優秀で何度も表彰されていた。
皆勤賞も何度ももらってた。
もし本土決戦にでもなってたら
真っ先に、、、
ぞっとしてくる。
最後に面白い実話がある。
その後20年も前にこちらへ引っ越してマンション住まいとなった。
近くのドラッグストアに行っては口癖の様に言ってた。
「何か、早く死ねる薬はないか?長く生き過ぎた」と。
そのうち店員達が「死にたいおばさんがやってきた」と
評判になったそうだ。
オーバー会の会長と言われた程
言葉の使い方が巧みだった。
「仏さんにとろろ昆布かけたような顔」、
「えべっさんが福笑いしたような顔」等。
まわりの皆が大笑いしてた。
そのくせ普段は、健康サンダルを履き、養命酒、リポD、逗源等大好きで、回りにも勧めてた。
明日は家族葬だ。
棺の中に入れるものを今晩考えよう。