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はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1981年西武ファンブックより)

練習の熱心さが実って守備、バッティングとも一段と成長した。
パワーのあるバッティングをさらに向上させるとともに、コンスタントに打てるようにするのが課題。
昨シーズンの倍以上練習すると張り切っている。

 

【1981年の西岡良洋】
西武在籍:2年目(20歳)、背番号69
一軍成績:公式戦出場なし

 

【イースタンリーグ成績】
打撃成績:63試合、149打数43安打、打率.289、1本塁打、16打点、5盗塁

★2018年9月6日に掲載したブログのアップデート版です★

 

昭和56年度(1981年)タカラプロ野球カード

名取和彦の西武ユニフォーム写真の野球カードは、私が知る限りこの1枚のみです。

 

【アマチュア時代】

甲府商業高卒業後、明治大学へ進学。
東京六大学野球リーグでは、4年次に春季、秋季リーグ連続優勝に貢献。
チームは全日本大学野球選手権大会ベスト4、明治神宮野球大会優勝を果たした。
明大卒業後、日産自動車へ入社し1979年の都市対抗では2勝をあげた。

 

【プロ入り後】

1979年ドラフト会議で南海から1位指名を受け入団。
プロ入り1年目から30試合に登板、5勝をあげた。
プロ2年目となる1981年シーズン開幕直前にジム・タイロンとの交換トレードで西武へ移籍した。

 

ドラフト1位選手で、しかも新人の1年目から5勝をあげ将来が有望視されながらも、1シーズン限りでトレードで放出されるなんて事は、最近のプロ野球ではまず無いでしょうね。

この時の交換相手がタイロンだったということもあり、外国人選手とのトレード例もなかなか無い事例ですので、かなり異例のトレードだったということがわかります。

 

【1981年の名取和彦】
西武在籍:1年目(28歳)、背番号1
一軍成績:5試合、0勝 1敗 0セーブ、投球イニング16回、自責点13、防御率7.31、奪三振4

 

【イースタンリーグ成績】
投手成績:9試合、1勝 2敗 0セーブ、投球イニング29回1/3、自責点13、防御率4.03、奪三振6
打撃成績:9試合、9打数1安打、打率.111、0本塁打、2打点、0盗塁

 

4月8日対日本ハム戦で先発を任された。

この試合が西武移籍後初登板だった。
1回表に西武が5点を先制。

味方の大量援護を受けた名取も6回終了まで1失点と好投した。
しかし、7回裏に日本ハム打線に一挙5点を奪われ逆転を許し降板。

4月23日には古巣南海相手に先発起用されたが、5回までに3本塁打を浴び敗戦投手になった。
4月30日対日本ハム戦で3度目の先発を任されたが、初回から被2安打、2四球、1失点とピリッとせず、わずか1イニングで交代した。
6月25日対ロッテ戦は、約2か月ぶりの一軍登板となったが先発を任された。
しかし、初回から4失点するなど先発の役割を果たせず2回1/3イニングで降板。
結果的にこの試合が一軍での登板は最後となり、シーズンを終えた。

★2020年4月28日に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算196枚目】

カルビー1983年 No.187(表面)

※サインは、片平氏が西武二軍監督だった1995年頃に直接書いて頂きました。

現役時代は背番号4番でしたが、この時は二軍監督時代の背番号72番で書いてくださいました。

 

また、サインで少し見にくくなっていますが、このカードに使われている一本足打法の写真は私のお気に入りでもあります。

 

カルビー1983年 No.187(裏面)