(1981年西武ファンブックより)
大リーグ時代には『サイ・ヤング賞』を受賞した球歴を持つ。
若手投手陣に大リーグの厳しさと投球技術を手にとって教えこむ。
【1981年のバーノン・ロー】
西武コーチ:3年目(51歳) 、背番号88
ニ軍投手コーチ
1979年から3年間ライオンズ若手投手陣へメジャーリーグ仕込みの技術を教えこみ続けた。
在任中は、森繁和、松沼兄弟、杉本正、柴田保光、小野和幸ら後に活躍する選手たちも指導を受けている。
1981年シーズン限りで西武を退団し帰国。
帰国後は、マイナリーグ監督、ホワイトソックススカウトなど務めた。
1990年には、息子のバンス・ローが中日に入団。
同年は、122試合に出場し打率.313、29本塁打、78打点の成績をマークし、セ・リーグの三塁手部門のベストナインにも選出された。
入団時に中日と2年契約を結んでいたが、長女の病気療養を理由に退団を申し入れ、1年限りで帰国している。
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