西武ライオンズタイムマシーン(第396回):1980年 伊原春樹 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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(1980年西武ファンブックより)

ゲーム中、いつも声を出すファイトマンである。
野球に取り組む姿勢はチームの中でも指折り。
コンスタントに打てるようになればポジションの獲得も可能だ。
今シーズンは、持っている実力を十二分に発揮してもらいたい。

 

【1980年の伊原春樹】
西武在籍:2年目(31歳)、背番号30
打撃成績:21試合、6打数0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁

 

(イースタンリーグ成績)
打撃成績:3試合、6打数0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁


プロ10年目シーズンとなった1980年は、開幕は二軍でスタート。
4月後半に一軍へ昇格すると、4月20日対ロッテ戦で途中三塁の守備につきシーズン初出場。
その後5月、6月も一軍に帯同はしていたが、ほぼ守備要員としての途中出場が続いた。
だが、伊原自身10年選手になりながら、いつまで経ってもレギュラーも取れず控えに甘んじている状況に埒があかないと「現役」に見切りを付けようと考え始めていた。
そして夏頃の遠征先で根本監督からファーム行きを告げられた際に自ら現役を退き、指導者の道へ進みたい希望を申し伝えた。
根本監督との1時間に及ぶ話し合いの末、シーズン後半から二軍守備走塁担当の滝内コーチの補佐として手伝う事が決定し、伊原の指導者としての第一歩がスタートした。
シーズン終了後に正式に現役引退となり、翌年は西武二軍守備・走塁コーチ補佐として残留することが決まった。

 

【1980年当時の記事写真とコメント】

野球に取り組む姿勢は抜群
コンスタントに打てれば

練習での力が試合に発揮できれば、第一線でバリバリ活躍できる選手。
守備のほうは及第点がつけられる。
問題は1年間を通してコンスタントに打てる技術を身につけることだ。

 

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