(1980年西武ファンブックより)
外野にコンバートされ、守備にそう気をつかわなくてすむようになったせいか、伸び伸びと打っている。
打球も鋭く、またひと回り成長したようだ。
パ・リーグの投手にとっては、うるさい存在になることは明らか。
【1980年の山村善則】
西武在籍:2年目(25歳)、背番号5
打撃成績:59試合、129打数27安打、打率.209、5本塁打、13打点、0盗塁
(イースタンリーグ成績)
打撃成績:6試合、12打数4安打、打率.333、1本塁打、3打点、0盗塁
1978年、1979年に三塁手の定位置を獲得し、1980年も主力選手の一人として期待されていた。
しかし、山村の最大の課題は1976年、1978年、1979年と3度もリーグワースト失策数を記録していた三塁の守備であり、チームもその不安を解消する為、外野へのコンバートを決めた。
日本ハムとの開幕シリーズは、3試合とも7番・左翼手として先発起用されたが計7打数1安打と結果を出せなかった。
以降も打撃の調子が上がらず、打率は1割台まで落ち込んだ。
5月に入って計3本の本塁打を放つなど復調気配も見せたが、6月最初の4試合で計10打数1安打に終わり、打率は.182まで低迷し6月5日の試合後に二軍へ降格した。
7月に一軍再昇格を果たすも、その頃には左翼手のポジションには長谷川一夫や大田卓司が起用されており、山村は出番の無い日も多く、少ない出場機会は代打などに限られた。
シーズン終盤にやや復調を見せたものの、最終打率は.209に終わり2割台に乗せるのがやっとだった。
打撃面は、不本意なシーズンで終わったが、コンバートされた外野手守備では67回の守備機会を失策ゼロで乗り切った。
また、この年は三塁手としての出場機会は無かった。
【1980年当時の記事写真とコメント】
外野コンバートでみがきがかかった長打力
持ち味の長打力を生かすために、今シーズンから外野にコンバートが決まった。
守備で気を使う必要がなくなれば、思い切ったバッティングを売りものにするだけの素質がある。
山村のような一発のある打者が下位打線にいたら、相手投手は気を抜くことができないだろう。
「今シーズンは昨年の分も取り戻す」と決意のほどを明らかにした。
人材豊富な外野陣の一角に食いこんで、常時出場できるかどうか、山村にとって勝負の年になりそうだ。
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