(1979年西武ファンブックより)
昨年の活躍がフロックでないことを証明するためにもっと、人一倍練習に励んだ。
サードベース寄りのゴロひとつ捕るにも思い切ってつっこむ若々しいプレーが見もの。
バッティングのほうもヘッドの回りが一段と速くなり、打球に鋭さを増した。
今シーズンの活躍が楽しみ。
【1979年の山村善則】
西武在籍:1年目(24歳)、※クラウンライターから残留、背番号5
打撃成績:122試合、104安打、11本塁打、49打点、4盗塁、打率.269
1973年ドラフト会議で太平洋クラブから1位指名を受け入団。
1976年には三塁手の定位置を獲得し、クラウンライター時代はチームの主力となっていた。
球団が西武に変わった1979年は、新生・西武ライオンズとして初の公式戦となった4月7日の開幕戦に「2番・三塁手」としてメモリアルゲームの先発メンバーに名を連ねた。
4月29日に3安打を放つと、5月に入ってからは更に打撃は調子が上がっていった。
5月10日にシーズン第1号本塁打が出ると、5月17日対日本ハム戦で4打数4安打の大当たり。
この試合だけで3本の二塁打を放った。
5月22日、23日の阪急戦では2試合連続の本塁打を放つなど、5月だけで6本塁打を打った。
その後は、夏場以降に打撃の調子を落としたものの、シーズン終了までに104安打、11本塁打、49打点を積み重ねた。
打率.269はリーグ32位だった。
一方で、山村善の課題はずっと守備面にあり、この年もリーグワーストの27個の失策を記録。
これで1976年(30個)、1978年(25個)に続いて4シーズンで3度目となるリーグワースト失策数(いわゆる失策王)という不名誉な記録を残してしまった。
【1979年当時の記事写真とコメント】
限りない情熱で底力を発揮
努力の積み重ねで、ホットコーナーのポジションを手にした。
長打力のある大型内野手として成長したといっていい。
「何としても、昨年より成績を上げたい」という言葉から自信のほどがうかがえる。
山村が持ち味を下位で生かせば、ライオンズの打線はグッとしまる。
長打力があるだけに、他球団の投手にとって怖い存在になろう。