(1980年西武ファンブックより)
小柄だが、すごいパンチ力がある。
その秘密は、リストの柔らかさと力だ。
リーグ1といわれているリストを使ってのバッティングは、十分3割を打てる実力がある。
キャンプでの打ち込みを試合で見せてくれることだろう
【1980年の大田卓司】
西武在籍:2年目(29歳)、背番号25
打撃成績:86試合、207打数58安打、打率.280、12本塁打、42打点、0盗塁
前年は指名打者での起用が多かったが大田だったが、1980年は開幕から指名打者には田淵幸一が定着し、大田の出番は代打に限られた。
しかし、4月17日までに代打で5回起用されるも全て凡退していた。
4月18日対ロッテ戦で7番・左翼手として偵察メンバーとして名を連ねていた投手・柴田保光に替わる形で出場したこの試合が実質初スタメンだった。この試合では、シーズン第1号本塁打を含む2安打、3打点と期待に応えた。
4月26日対近鉄戦では、途中出場ながら3打数3安打、2本塁打、4打点をあげ勝利に貢献した。
本来チームとしては、大田の打撃力を生かす為に左翼手で起用したかったが、肩の故障で守備につけなかった為、その後も代打での起用がほとんどであった。
本格的に左翼手として先発出場が増えたのは8月からで打順も6番に定着。
すると8月は15試合に先発出場して53打数20安打、打率.377、4本塁打、14打点の好成績を残した。
8月14日対ロッテ戦では満塁本塁打も放った。
さらに9月9日対近鉄戦で9回裏2死から代打で登場しサヨナラ本塁打を放ちここ一番での勝負強さも見せた。
【1980年名場面】
1980年9月9日 ○西武5X-4近鉄●
大田選手、劇的な代打サヨナラ本塁打でバンザイ
9回の裏まで、東尾投手、近鉄柳田投手の投げ合いで同点。
このままいけば引き分け。
二死から代打で登場した大田選手の見事な本塁打は勝利の女神を呼び込んだ。
(西武球場:観衆2万4千人)
次回「1980年 大田卓司 Part.2」へつづきます。
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