西武ライオンズタイムマシーン(第292回):1979年 大田卓司 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1979年西武ファンブックより)

リストの強さはリーグ1といわれている。
昨年は代打が多かったが3割を超す高打率。
気力も充実して外野の一角をねらって外人とのポジション争いが見もの。

 

【1979年の大田卓司】
西武在籍:1年目(28歳)、※クラウンライターから残留、背番号25
打撃成績:91試合、58安打、14本塁打、38打点、0盗塁、打率.269

 

1968年ドラフト会議で西鉄から9位指名で入団。
1970年ウエスタンリーグで打点王を獲得。
1971年ウエスタンリーグで首位打者を獲得。
1976年指名打者部門でベストナイン受賞。

球団が西武に変わった1979年は、西武ライオンズ球団初の公式戦となった4月7日対近鉄との開幕戦で代打で初出場。
その後も代打で起用され続けたが、4月28日までは14打数2安打、打率.143と奮わなかった。
ところが4月29日対日本ハム戦の試合開始直後にアクシデントで退いた立花に代わって急遽出場するとシーズン第1号本塁打を含む3安打、2打点。
翌4月30日対日本ハム戦では二番・右翼手で先発起用され2試合連続となる第2号本塁打含む2安打に4打点と立花の代役を十分に果たした。
5月に入ると今度は田淵の欠場が続いた為、大田がその代役として指名打者で起用され続けた。
5月3日対近鉄戦で1試合2本塁打、5月6日対ロッテ戦で第5号を含む3安打、3打点と打撃の好調が続いた。
チームも大田の打撃力を生かしたかったが、大田は元々肩の怪我により送球に難があった為、外野手としての起用は難しい状態だった。
また指名打者には田淵がおり、大田の起用は田淵をはじめ他の選手次第というチーム事情も重なった。
7月~8月中旬にかけて田淵が捕手として起用されたり欠場が続いた為、その間は、大田が指名打者として先発起用された。
その後8月後半からは再び代打での起用になり、9月以降は出番が減っていった。
8月11日の13号本塁打から10月8日の14号本塁打まで約2か月を要するなど、シーズン終盤は勢いが衰えてしまった。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

ここ一発はオレにまかせておけ
昨シーズン代打・DHが多かった中で、3割2分4厘の高打率を残した実績を誇る。
今シーズンも代打・DHで使われることが多くなりそうだが、リーグ・ナンバーワンといわれるリストの強さを生かしたバッティングが見もの。
気力を充実させてファンの期待に応えてもらいたい。