西武ライオンズタイムマシーン(第379回):1980年 永射保 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1980年西武ファンブックより)

左の切り札的存在である。
先発に、ロングリリーフに、はたまたワンポイントにと出番が多い。
左投手独特の大きなカーブで王(巨人)をキリキリ舞いさせたこともある。

 

【1980年の永射保】
西武在籍:2年目(27歳)、背番号31
投手成績:56試合 6勝 3敗 1セーブ、投球イニング123回2/3、自責点61、防御率4.43

 

前年1979年にリーグ最多の63試合に登板した永射だったが、1980年も開幕直後からフル稼働。
開幕3試合目の4月7日対日本ハム戦でシーズン初登板。
翌日の対南海戦では3番手として5回途中から登板し、試合終了までのロングリリーフで無失点の好投。その間にチームは勝ち越しに成功し永射が勝ち投手となった。
4月19日対ロッテ戦、4月24日対南海戦ではいずれも先発で勝利し、4月だけで3勝をあげた。
その後も先発とリリーフを交互に任され続けた。
5月17日対南海戦では先発完投するも味方打線の援護なく0-2で敗戦し初黒星。
5月27日対日本ハム戦では、リリーフで7回以降の3イニングを抑え初セーブ。
6月27日対南海戦ダブルヘッダー第1試合では、再度先発を任され9回1失点、無四球での完投勝利で5勝目をあげた。
7月12日対阪急戦でリリーフで6勝目をあげた。

結果的に以降は勝ち星を積み重ねることができなかったが、夏場以降もタフネス振りは健在でシーズン終盤まで投げ続けた。
本職のリリーフ登板時は安定した成績だった一方で先発登板時は結果を残せなかった。
7月以降に先発した4試合中3試合が3回までにKOされ、計13回2/3イニングで自責点15と試合を作ることすらできなかった。

それでもこの年は、56試合に登板し、2年連続でリーグ最多登板投手となった。

 

【1980年当時の記事写真とコメント】

ピンチをまかせられるキビキビした小さな大投手

一見気弱そうに見えるが、どうしてどうして強心臓の持ち主。
ピンチになればなるほど燃えてくるという。
半面冷静なピッチングは、安心して火消し役を任せることができる。

 

【関連記事】

西武ライオンズタイムマシーン(第272回):1979年 永射保