西武ライオンズタイムマシーン(第377回):1980年 古沢憲司 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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(1980年西武ファンブックより)

ピッチングが単調になるクセさえ直れば、球威があるので安定した力を発揮できる。
移籍2年目を迎え、パ・リーグの打者もわかったので期待できる。
変化球の切れ味はどこへ出しても恥ずかしくない

 

【1980年の古沢憲司】
西武在籍:2年目(32歳)、背番号23
投手成績:34試合 3勝 6敗 5セーブ、投球イニング80回、自責点51、防御率5.74

 

1980年は、開幕シリーズ2試合目の4月6日対日本ハム戦に2番手としてシーズン初登板。1イニングを無難に抑えた。
翌4月7日対日本ハム戦は、1点リードの場面で2番手として登板するも8回裏に同点に追い付かれリードを守れなかった。
次の登板となった4月17日対阪急戦でシーズン初先発。6回まで2失点の好投も、7回に乱れ古沢に黒星が付いた。
その後はリリーフへ戻り、4月24日対南海戦、4月25日対近鉄戦で2試合連続セーブをあげた。
さらに4月26日対近鉄戦は終盤チームが逆転勝利し、古沢にシーズン初白星が転がり込み3試合連続のセーブポイントが付いた。
だが、4試合連続登板となった4月29日対ロッテ戦ダブルヘッダー第1戦では、3点リードの場面で登板するも4失点。逆転負けを喫し敗戦投手になった。
5月6日対阪急戦で再び先発起用されたが、6回7失点で敗戦投手に。
投手層が薄いチーム事情もあり、ローテーションの谷間などで4度先発したが、先発では0勝3敗、22回1/3イニング、自責点18、防御率7.25と全く結果を出すことができなかった。
一方、リリーフではシーズン通して投げ続け30試合に登板。
一時的に抑えを任され5セーブを記録した。
リーグ最多となる7暴投も記録している。

 

【1980年当時の記事写真とコメント】

 

 

足腰を鍛え直して精神的なもろさ返上

今年のキャンプで、人一倍目の色を変えて練習に励んでいた。
まだまだ老けこむには早すぎる。
スリークォーターから投げるストレート、変化球の切れ味は2ケタ勝利をあげられるだけの力がある。
今年は完投できるだけのスタミナをつけ、1球1球考えて投げると意欲満々。
パ・リーグの打者のクセや弱点も、ひと通り戦ってみてわかっただけに大いに期待がもてる。
ポンポンと速いテンポでピシャリと抑える独特のピッチングが見られそうだ。

 

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