西武ライオンズタイムマシーン(第373回):1980年 ジム・タイロン Part.1 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1980年西武ファンブックより)

鋭いライナーを右に左に打ち分けるバッティングはさすが大リーガー。
昨シーズンの経験で、日本の投手の変化球にも、すっかり目が慣れた。
俊足を生かした外野の守りも大いに投手を助けるだろう。
強肩の返球も見ものだ。

 

【1980年のタイロン】
西武在籍:2年目(31歳)、背番号1
打撃成績:128試合、529打数146安打、打率.276(リーグ22位)、35本塁打、68打点、9盗塁

 

来日2年目の1980年は、開幕から4試合目の4月8日対南海戦で6回裏にシーズン第1号本塁打を放った。

この一打が決勝点となり、チームもようやく初勝利をあげた。
4月は打率.301、3本塁打の成績で好スタートを切った。
5月に入り打撃の調子は下降気味になったが、5月下旬以降打順を1番に固定すると次第に復調して行った。
6月6日対南海戦では、本塁打を含む3安打、5打点と大暴れし、最大5点のリードを許していた試合は13-13の引分に持ち込んだ。
6月14日対対阪急戦では6号、7号となる1試合2本塁打を放つと翌日の対阪急戦でも満塁弾含む4安打4打点をあげ打率も3割台に戻した。
前期終了時で期待された本塁打は9本にとどまっていたが、後期に入ると大リーガー・スティーブの新加入が相乗効果を生みタイロンにも長打が出るようになった。
後期だけで、2試合連続本塁打6回、3試合連続本塁打1回、1試合2本塁打5回と固め打ちも多く、スティーブとのアベック本塁打も6回を数えた。
9月18日~26日までの5試合中4試合で本塁打、計5本を放つなど、後期は65試合で26本塁打を量産し最終的にシーズン35本塁打を放った。
長打率も.505の高数字だった。
打撃面では、助っ人としては十分な成績であり翌シーズンの契約延長も決まっていたが、堤義明オーナーの号令のもと大物メジャーリーガーのテリーの獲得が決まった。
外国人選手枠の関係でタイロンがはじかれる形となり、1981年開幕直前に前年ドラフト1位投手・名取和彦との異例の交換トレードで南海への移籍が決まった。
南海では2年間プレーし、1982年限りで解雇され退団した。

 

【1980年名場面】

1980年8月31日 ○西武11-3ロッテ●
タイロン選手、左翼にダメ押し本塁打を放ち迎えられる。

8回無死一塁にランナーをおいてボックスに立ったタイロン選手はロッテの3番手、梅沢投手の球を楽々とレフトスタンドに運ぶ。

マスコットガールに迎えられて、ごきげん。
(西宮球場:観衆3万3千人)

 

次回「1980年 ジム・タイロン Part.2」へつづきます。

 

【関連記事】

西武ライオンズタイムマシーン(第311回):1979年 ジム・タイロン