(1980年西武ファンブックより)
俊足を生かして外野の一角を占めようと張り切っている。
ミートのうまいバッティングは大学時代からよく知られていた。
シーズンを通してコンスタントに打てれば当確。
せっかくの足をムダにしないで、盗塁で見せ場を。
【1980年の楠城徹】
西武在籍:2年目(30歳)、背番号29
打撃成績:12試合、18打数2安打、打率.111、0本塁打、0打点、0盗塁
(イースタンリーグ成績)
打撃成績:45試合 98打数32安打、打率.327、2本塁打、21打点、6盗塁
1980年は、俊足を生かす為、シーズン前に登録を「捕手」→「外野手」へ変更。
出場機会増を目指したが、開幕から二軍暮らしが続いた。
それでもイースタンリーグの試合では、打撃好調で6月になって一軍へ昇格。
早速6月10日対近鉄戦で7番・左翼手として先発起用された。
以降、その試合含め7試合続けて先発起用されたが、4試合連続ノーヒットで終わるなど15打数2安打と結果を出せなかった。
7月1日対ロッテ戦では、1番打者として先発起用されるが3打数ノーヒットに終わると、7月7日に代走での出場を最後に二軍へ降格。
そのままシーズン終了まで再昇格を果たせず、この年限りで現役を引退した。
引退後も西武に残り翌年からスカウトへ転身。
1999年までスカウトを続け、2000年には一軍ヘッド兼バッテリーコーチを務めた。
2001年に再びスカウトへ戻り、スカウト部長に就任。
2004年に西武を退団したが、現役時代を含め約30年間ライオンズを支え続けた。
その後、高校野球の監督として2015年に甲子園出場を果たし勝利をあげた。
学生野球資格を回復したプロ野球経験者が、高校野球の監督として甲子園大会でチームを勝利に導いたのは、楠城が初めてであった。
本日、決勝戦が行われる第94回センバツ高校野球大会でも九州国際大付高を率いてベスト8まで進出した。
【1980年当時の記事写真とコメント】
真剣なまなざしから今年のヤル気がうかがえる
足の速さを買われて、捕手から外野へコンバートされた。
早大の主将をつとめた実績があるだけに勝負強さには定評がある。
調子の波に乗れさえすればフル出場も可能。
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