(1980年西武ファンブックより)
低めにコントロールされる重い球は、やはりライオンズの大黒柱。
打者との駆け引きのうまさは球界でも定評がある。
肩さえ万全なら20勝は楽にあげられる。
【1980年の東尾修】
西武在籍:2年目(30歳)、背番号21
投手成績:33試合 17勝13敗 0セーブ、投球イニング235回1/3、自責点99、防御率3.79(リーグ7位)
東尾は1978年に23勝をあげ、翌1979年に発足したばかりの新球団・西武ライオンズでもチームの大黒柱として期待されていた。
しかし、6勝13敗と期待を大きく裏切る結果となり、東尾にとっても1980年は、エース復権を目指すシーズンとなった。
開幕戦となった4月5日対日本ハム戦は、開幕投手に指名されシーズン初先発。
東尾は粘りの投球で9回1失点の好投を見せるが、味方打線の援護がなく1-1のまま延長戦へ。
延長10回裏に力尽き1-2Xのサヨナラ負け。完投するも敗戦投手になった。
その後、東尾は中4日~5日の間隔で先発したが、開幕から3連敗を喫するなど黒星が先行し続けた。
7月7日時点で早くも10敗目(5勝)を喫していた。
ところが、暑さが増した夏場に東尾の調子も一気に上昇。
7月27日対南海戦ダブルヘッダー第2試合で勝利投手になると、8月29日まで負け無しの7連勝。
成績も12勝10敗と勝ち星が逆転した。
8月成績は6勝0敗で自身初となる月間MVPも受賞した。
10月3日対日本ハム後期13回戦(後楽園球場)で、完封勝利をあげプロ通算150勝も達成した。
東尾は開幕からシーズン最後まで先発ローテーションを守り続け、リーグ最多となる33試合に先発した。
無四球完投も4試合あった。(※リーグ最多)
勝ち星はチーム最多となる17勝まで積み重ね、エース復権のシーズンとなった。
【1980年名場面】
1980年10月3日 ○西武8-0日本ハム●
東尾投手気力をふりしぼって完封、150勝を記録
連敗脱出に最後まで気力で投げとおした東尾投手。
日本ハム打線をぴしゃりと抑え、16勝目をあげる。
通算で150勝とエースとしての貫禄を見せつけた試合。
(後楽園球場:観衆3万2千人)
次回「1980年 東尾修 Part.2」へつづきます。
【関連記事】