(1980年西武ファンブックより)
かつて甲子園で江川と対決したとき、簡単に打ち込んだ実績の持ち主だけに打つ方の素質は素晴らしいものがある。
守備の勘もいわば動物的で、一直線に落下点に向かう。
右方向にうまく打てるようになれば常時出場のチャンスあり。
【1980年の慶元秀章】
西武在籍:2年目(24歳)、背番号39
打撃成績:3試合、2打数0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁
(イースタンリーグ成績)
打撃成績:63試合 171打数44安打、打率.257、3本塁打、15打点、4盗塁
クラウンライター時代の1978年に105試合、西武初年度の前年1979年にも54試合に出場した慶元だったが、1980年はわずか3試合の出場に終わった。
開幕2試合目の4月6日対日本ハム戦に山村善則に替わって左翼手で途中出場。
打席にも立ったが、木田勇の前に三振に倒れた。
4月12日対近鉄戦で代打起用も凡退、4月17日対阪急戦で途中から右翼の守備についたのを最後に二軍へ降格した。
そのままシーズン終了まで一軍再昇格を果たすことができずに終わった。
二軍降格後、イースタンリーグでは外野手のレギュラーの一人として全70試合中63試合に出場した。
常に一軍入りするだけでなく常時出場をめざしハッスル
3年目を迎え勝負の年になりそうだ。
外野の定位置を獲得するには守備よりもバッティング。
鋭い当たりが外野の間を抜けるようになれば、しめたもの。
中距離打者に徹することが近道だ。
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