(1980年西武ファンブックより)
今シーズンからコーチ兼任になったが、まだまだ華麗なさばきは捨てがたい。
若手にゴロのとり方などを教える一方、自分自身を同じように鍛えている。
ここ一番守りを固めるときには、やはり頼りにできる選手。
【1980年の広瀬宰】
西武在籍:2年目、西武コーチ:1年目(33歳)、背番号67
打撃成績:49試合、48打数10安打、打率.208、1本塁打、4打点、0盗塁
1980年は、コーチ兼任選手となり、背番号も前年までの「7」番から「67」番へと変更した。
選手としては、4月5日対日本ハムとの開幕戦に途中出場するなど、主に二塁をのぞく内野の守備要因としての起用が多かった。
8月23日対南海戦では、途中左翼手として出場し、広瀬自身中日時代の1973年以来となる7年ぶりの外野守備についた。
打撃では特に目立った成績は残せなかったが、8月24日対南海戦で途中出場ながら9回表にシーズン第1号本塁打を放つと、その後4試合連続安打を放った。
シーズン終了後に、西武と翌年の選手契約を交わしコーチ兼任も継続することになった。
【1980年当時の記事写真とコメント】
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