(1979年西武ファンブックより)
ゴロのさばきのうまさは定評がある。
山崎との二遊間コンビ復活で、ショートのポジションは誰にも渡さないと張り切っている。
フル出場できるかは体力次第。
流すバッティングも捨てがたいものがある。
【1979年の広瀬宰】
西武在籍:1年目(32歳)、※クラウンライターから残留、背番号7
打撃成績:76試合、35安打、2本塁打、15打点、0盗塁、打率.233
1968年ドラフト会議でロッテから2位で入団。
1972年オフに交換トレードで中日へ移籍。
1975年オフに交換トレードで太平洋クラブへ移籍。
移籍後の1976年、1977年に正遊撃手としてポジションを掴んだが、1978年には真弓明信にポジションを奪われていた。
球団が西武に変わった1979年は、開幕4試合目となる4月11日対日本ハム戦で途中から三塁の守備についてシーズン初出場。
それからしばらくの間は、内野の守備要因としての途中出場に限られていたが、4月24日から5月3日まで9試合続けて二塁手として先発で起用された。
しかし、打撃は打率.133と低迷し続け二塁のポジションに山崎裕之が戻ると一気に出番が減った。
その後チームは遊撃手を固定できずにいた中、今度は遊撃手として5月31日から6月21日までに行われた17試合中16試合で先発起用された。
しかし、相変わらず打率は.167と低迷したままで、6月23日以降は日本ハムから移籍してきた行沢隆久にそのポジションを奪われた。
8月に入ってからは二塁手、三塁手として度々先発で起用され、8月10日にシーズン第1号本塁打も放った。
8月27日対日本ハム後期7回戦(西武球場)では、プロ入り通算1,000試合出場を達成した。
【1979年当時の記事写真とコメント】
山崎との二遊間コンビは息もぴったりだ。
華麗な守備は、くろうと受けする。
「故障をなくしてフル出場したい…」といっているが、ファンもそれを期待している。
打つ方も、ツボにくれば強い。
フロリダでは、右へ打つ練習を盛んにやっていたが、もともとミートはうまいだけに、渋いバッティングが今シーズンも見れそうだ。